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伊賀越
「伊賀越〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
伊賀越の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
至極無事であったのですが、そのあくる日、江戸を出てから四日目に三島の宿を立って、
伊賀越の浄瑠璃でおなじみの沼津の宿をさして行くことになりました。上下五人の荷物は....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
/\莞爾※上機嫌で居る。
彼等の来様が些晩かったので、三番叟は早や済んで居た。
伊賀越の序幕は、何が何やら分からぬ間に過ぎた。彼等夫妻も拝殿から下りて、土間に割....
「寛永武道鑑」より 著者:直木三十五
でもいい――) 半兵衛は、灰色の中に、自分と妻と二人ぎりの所を見た。 附記
伊賀越の仇討は、荒木方四人、又五郎方士分、小者ともで、合せて十一人と、藤堂家の公....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
岡裁きの類) 三、侠客物(天保水滸伝、関東侠客伝) 四、仇討物(一名武勇伝、
伊賀越、岩見重太郎) 五、お家物(伊達騒動、相馬大作、越後騒動) 六、人情、....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
越え、サテ、いまこの沼津へさしかかりました。水野出羽守様御領……。 沼津名物、
伊賀越え道中双六の平作と、どじょう汁。 品川から十三番目の宿場ですな。 三島....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
いの、苦は色替ゆる松風通り、風の吹くように、身にも染まぬ一時恋」。半二と加作の『
伊賀越道中双六《いがごえどうちゅうすごろく》』岡崎の段の初めに「世の中の、苦は色....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
聞く荒木又右衛門が武勇を現わしたところじゃ、そこで一番、火の出る斬合いをやって、
伊賀越えの供養《くよう》をしてみたいなあ」 かの印籠鞘《いんろうざや》の武士は....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
段高いところで、一段のソプラノが起るのを聞きました。
西は丹波カラサキ口
東は
伊賀越えカラサキ口
和田の岬の左手《ゆんで》より
追々つづく数多《あまた》の兵船....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、気ちがいのようになってしまうのですから手がつけられません。私はあれを、伊勢から
伊賀越えをする時に見物致しました、男だけならまだしも、女が大変なものですからな、....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
わかるので、災難に遭っても黙っておく。それをよいことにして悪者が暴行をした。かの
伊賀越の芝居でも、唐木政右衛門が岡崎の宿に着く際、この抜道を通ったということに作....
「嫉みの話」より 著者:折口信夫
、兄弟、主君の敵討ちのうち、主君の敵討ちを道徳的に高いものとみている。兄弟のは、
伊賀越えなどがその例で、これになると、根本は軽いように思われるが、昔の人は同様に....
「備前天一坊」より 著者:江見水蔭
るらしき四十年配の総髪頭。被服から見ても医者という事が知れるのであった。 「かの
伊賀越の敵討、その起因は当国で御座った。それやこれやで、鳥取の池田家と、岡山の池....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
次郎兵衛には再びめぐり逢わなかった。その翌年の秋、わたしは鳥越の中村座で、彼が「
伊賀越」の助平と幸兵衛を観たが、遠眼鏡の助平は図ぬけて好かった。幸兵衛はどうも宜....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
、二の両日、帝国劇場は開場式を行い、四日より興行す。狂言は山崎紫紅作「頼朝」と「
伊賀越」「羽衣」。俳優は梅幸、高麗蔵、宗十郎、宗之助、松助、鴈治郎にて、見物席を....