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「佐佐木〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

佐佐木の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文章」より 著者:芥川竜之介
三人の文官教官と葬列のあとについて行った。その中《うち》にふと振り返ると、校長の佐佐木《ささき》中将を始め、武官では藤田大佐だの、文官では粟野《あわの》教官だの....
おしの」より 著者:芥川竜之介
に云い放った。 「わたくしの夫、一番《いちばん》ヶ|瀬《せ》半兵衛《はんべえ》は佐佐木家《ささきけ》の浪人《ろうにん》でございます。しかしまだ一度も敵の前に後《....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
かばか》しい己惚《うぬぼ》れを起したことはない。」 批評学 ――佐佐木茂索君に―― 或天気の好い午前である。博士に化けた Mephistop....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
という、伯父には長官にあたる造幣局のお役人のお宅があった。竹柏園《ちくはくえん》佐佐木信綱《ささきのぶつな》先生の夫人《おくさま》がそこのお嬢さんだった方だ。伯....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
新釈………伊藤左千夫「万葉集新釈」 新考………井上通泰「万葉集新考」 選釈………佐佐木信綱「万葉集選釈」 新解………武田祐吉「万葉集新解」 新講………次田潤「万....
辞書」より 著者:折口信夫
そういう仕事は明治以後の人は横着でしなくなったが、徳川時代には盛んにやっている。佐佐木弘綱氏は、明治にはいっても「雅言俗解」のほうをやっていた。昔の人の仕事の増....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
案内をしてくれて、神田小川町の竹柏園の門に立ったことがあったのだ。まだお若かった佐佐木信綱先生と、新婚早々の雪子夫人は、その時、花簪を※した、ちりめんの前かけを....
剛才人と柔才人と」より 著者:芥川竜之介
佐佐木君は剛才人、小島君は柔才人、兎に角どちらも才人です。僕はいつか佐佐木君と歩....
大塚楠緒子」より 著者:長谷川時雨
《こも》り居《い》は松の風さへ嬉しきに心づくしの人の音《おと》づれ と竹柏園主佐佐木博士のもとへ葉書をよせられたりなされました。 墓表《ぼひょう》を書かれた....
朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
えてくるでしょ、なんて、からかったけれど――そうそう、こんな話もありましたっけ、佐佐木|信綱《のぶつな》先生の所へいって、あたくしの友達の、こういう人を連れて来....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
に私は祖母に連れられて、西氏の三十間堀のお家へ泊りに行きました。夫人(石川氏)は佐佐木信綱氏の歌のお弟子でした。 西氏が前に家塾育英舍を開かれた時の通規に、「....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
している。そこには当時として最もよいと思われるテキストを挙げて置いたが、その後、佐佐木信綱博士・川田順氏・伊藤嘉夫氏・久曾神昇氏による最も完全な『西行全集』(昭....
澪標」より 著者:外村繁
連っている。繖《きぬがさ》山脈と呼ばれている。その一峰に、往昔、近江守護、六角、佐佐木氏の居城のあった観音寺山がある。その山頂にある観音寺は西国第三十三番の札所....
頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
郎、筑後六郎、和田三郎、土肥先二郎、佐原太郎、多多良四郎、長井太郎、宇佐美三郎、佐佐木小三郎、南条平次、安西四郎など云う美男優長の輩であった。 それは元久元年....
日本の頭脳調べ」より 著者:戸坂潤
家で藤島武二と岡田三郎助の両氏もまず洋画から選ぶとすれば不思議でない。幸田露伴と佐佐木信綱の二氏も大いにいいだろう。 ただ世間でこの顔振れを見て、何か物足りな....