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「佐竹〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

佐竹の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
無名作家の日記」より 著者:菊池寛
のだ。俺は、博士が気の毒になった。 十一月五日。 俺は今日偶然、同じクラスの佐竹という男と話をした。俺は今までクラスのやつをすっかり軽蔑していたが、あの男だ....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
家へ仕え、奥州へ行っては伊達家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、常陸へ行っては佐竹家へ仕え、結城へ行っては結城家へ仕え、安房へ行っては里見家へ仕えた。いつも不....
佐竹の原へ大仏をこしらえたはなし」より 著者:高村光雲
また、四人が集っていますと、相変らず仕事場の前をぞろぞろ人が通る。私達の話は彼の佐竹の原の噂に移っていました。 「佐竹の原も評判だけで、行ってみると、からつまら....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
入りの薬箱を担ぎ、抽斗の鐶の歩むたびに鳴るを呼び売りのしるしとする定斎やは、今も佐竹の原にその担い方の練習をして年々に市中をまわるもの尠からず、昔時は照りつける....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
、二十二、二十三、二十四と、今年天正の十八年まで六年の間に、大小三十余戦、蘆名、佐竹、相馬、岩城、二階堂、白川、畠山、大内、此等を向うに廻して逐《お》いつ返しつ....
黒百合」より 著者:泉鏡花
、その俵町の裏長屋へ越して、祖父は着馴れぬ半纏被に身を窶して、孫の手を引きながら佐竹ヶ原から御徒町辺の古道具屋を見歩いたが、いずれも高直で力及ばず、ようよう竹町....
貞操問答」より 著者:菊池寛
て、 「どちらも、恐いわけではありませんが……」 「ねえ。一しょに行ってみない。佐竹の伯母さんとこへ訊ねて行くといえばいいでしょう。私、ここもいいけれど、観るも....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
めなどという種蕎麦のあることを知って、誠に驚かざることを得なかった。 それから佐竹の通りには馬肉屋が数軒あったが、私はそういう処に入ることを知らなかった。ただ....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
家町というべきであった。もっともはるか東北の方には藤堂|和泉守や酒井|左衛門尉や佐竹左京太夫や宗対馬守の、それこそ雄大な屋敷屋敷が、長屋町家を圧迫して月夜の蒼白....
秋の筑波山」より 著者:大町桂月
を注ぐ能はざりき。失敗又失敗、本城の岩槻さへ取られ、はる/″\常陸まで落ちゆきて佐竹義宣をたより、片野に老後の身を寄せたり。然れども、雄志|毫も衰へず。老武者の....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
にもならない貧しさ悲しさが一そう甚しく目をうつものだ。秋田市は徳川三百年一貫して佐竹氏の城下であるが、領主がいかに善政をしいたところで風土的にどうすることもでき....
姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
と思うと、それは大間違いであった。幕府が酒井家を鶴岡に封じた理由は、北方に秋田の佐竹、東に米沢の上杉、遠く仙台の伊達に備え、徳川の四天王の一つとして、親藩たる役....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
だとかいうことで、維新以後は両国の薩摩座に出勤し、それから方々を流れ渡って、下谷佐竹ヶ原の浄瑠璃座にしばらく出勤しているうちに、だんだんその伎倆が世間に認められ....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
て八幡太郎義家が、羽州鎮護のために石清水から分霊奉祀したものだという。慶長九年、佐竹義宣社殿改修の時の棟札に、出羽国六个郡之鎮守とある。しかし後世では金沢一郷の....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
現に東京市内にも今以て山家が近く穴居していた跡がありまして、最近に控訴院判事の尾佐竹君から写真を贈ってもらいました。東海道筋や近畿あたりにも随分それがおります。....