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余風
「余風〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
余風の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「寛永相合傘」より 著者:林不忘
から、この席上に間違いの端を発したのも、あながちいわれがないでもない。 戦国の
余風を受けて殺伐な世だ。そこへ持ってきて、武士の生活《くらし》にようやく落着きと....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
餅を拝んだ後食うたなども同義である。わが邦の亥の子餅ももと猪を農の神として崇めた
余風で、猪の形した餅を拝んだ後食ったらしい。この事は後に論じよう。(大正十二年一....
「江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
ラボシ」にあった。今夜店の植木屋などの、法外な事をいうのは、これらアラボシ商人の
余風なのでしょう。一体がこういう風に、江戸の人は田舎者を馬鹿に為切っていた。江戸....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
天芝居を見物するような料簡で、江戸の劇場の木戸をくぐった者は一人もなかった。その
余風が江戸から東京へ伝わって、明治の初年までは残っていたので、殆んど“前代未聞の....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
なく、元々その器でなかったから、卜伝流はやはり伊勢のほうに広く行われ、従ってその
余風からこの地方には兵法の達人上手が今でもたくさんに輩出している―― といった....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
治が体をなしかかっていたが、民間の旧習というものは、上ができたからといって、遽に
余風が革まるものではない。 けれど、私刑の風などは、新開発の半途にある混雑な社....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
して、諸侯のあいだにも「天野酒」といって知れ渡っているので、秀吉の亡き後は、その
余風もだいぶ廃っていたが、まだ年々|製って乞われる檀家へ贈る慣わしは残っていた。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
… と武者声を揚げあっていた。 渚を洗う大波は高かった。 まだきのうからの
余風をおさめきらない多々羅ヶ浜一里余の磯は、いちめん、まッ白な潮けむりなのである....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
を主題としたのもまた、いうまでもない。 水墨画の生れ出たこういう系脈から、その
余風は、戦国期を通じて、江戸初期にいたるも、なお劃然とした一境地を、画壇のうちに....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
命名法の名ごりと思われるし、瀬戸内の島人のサバ、コノシロ、ヒラメなども王朝人種の
余風といえないことはない。 源平時代の武家の子弟はというと、たいがい一から十ま....