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「保元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

保元の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
の大きい禍いが起こって、みやこは焚かれた。大勢の人は草を薙ぐように斬り殺された。保元《ほうげん》と平治《へいじ》の乱である。しかも古来の歴史家は、この両度の大乱....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
じゃないかと、子分の多吉に云いつけて奉行所の申渡書を調べさせると、石原の松蔵は天保元年の庚寅年の生まれということが判りました。寅年の男と、張子の虎、これもなるほ....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
砂礫如。 貞観六年五月二十五日。大火山其勢甚|熾。 寛平七年十一月。神火埋。 長保元年三月七日。富士山|焚。 長元五年十二月十六日。富士山焚。 永保三年二月二十....
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
なったものであった。末弟の宗春が宗家を継いだのには、鳥渡面白い事件がある。 享保元年のことであったが、七代の将軍家継が僅八歳で薨去した。そこで起こったのが継嗣....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
去の徳川時代において、唐船が長崎に来たのは、貞享元禄のころを最も多い時とする。正保元年、明朝が亡びて清朝となったころから、明末の志士、儒者なぞのこの国に来て隠れ....
「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
権を軽んずる者があればおたがいにいましめ合って居たので代のみだれもなかったけれ共保元の乱に為義が斬られ、平治の乱の時に義朝が誅せられたあとは末の源氏があると云っ....
花咲ける石」より 著者:坂口安吾
して山中尚武の地、上野を選んで住んだ。上州に土着しての名を、藤井右門太という。天保元年、勢多郡で死んだが、年百六十八という。多分に伝説的で、神話化されているけれ....
俊寛」より 著者:倉田百三
乱に清盛に惨殺された信頼の怨霊が。 成経 あゝ呪われたる父よ。(よろめく) 俊寛保元の乱に頼長の墓をあばいた信西は、頼長の霊に呪われて平治の乱には信頼に墓をあば....
弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
た技倆で知れる!」 すると正次は嘲るように云った。 「雉四郎とやら愚千万、昔|保元の合戦において、鎮西八郎|為朝公、兄なる義朝に弓は引いたが、兄なるが故に急所....
柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
1 天保元年正月五日、場所は浅草、日は午後、人の出盛る時刻であった。大道手品師の鬼小僧....
馬琴の小説とその当時の実社会」より 著者:幸田露伴
し、『八犬伝』は結城合戦に筆を起して居ますから足利氏の中葉からです、『弓張月』は保元からですから源平時代、『朝夷巡島記』は鎌倉時代、『美少年録』は戦国時代です。....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ないし、群小の才人はこの時代転換の風潮にのって、猟官運動に狂奔する。そこの隙へ、保元・平治の乱で自己の力量に目醒めた平家が、西国の富裕な地盤にものをいわせて、無....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
がどれだけ芸術の正しい品位を破るか。近代は澆季なりと時の人が嘆いたあの戦慄すべき保元平治時代よりもまだまだ今日の芸術界の一部は浅ましい。堕落しきってるような気が....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
都御役所向大概覚書」の付箋によるに、 正徳五年 三十五万九百八十六人 享保元年 三十五万三百六十七人(六百十九人減) 享保二年 三十五万....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
近しくなっている。かくてわが天台宗の盛んな頃には、叡山に三千坊あったと言われ、永保元年三井寺焼打ちの際には、災いに罹った僧坊の数だけでも四百二十一ヶ所の多きに及....