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信心家
「信心家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
信心家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
はないはずではござりませぬか。なればこそ、こちらの九郎兵衛様がお見かけによらぬご
信心家で、お蔵にもたんまりお宝があると聞き知りましたゆえ、使い慣らした白へびをあ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
はなはだ重要なネタの一つでした。諸々ほうぼうの護符があるところを見ると、よほどの
信心家であるようにも推断されるのです。しかし、その尊いお札がこのようなむさくるし....
「わが町」より 著者:織田作之助
行大菩薩という名がついているのを、ぼんやり眼に入れながら、 「お君ちゃん、えらい
信心家やねんなあ。なんに効く地蔵さんやねん?」 傍で突っ立っている所在なさにき....
「縮図」より 著者:徳田秋声
あった。小でッぷりした四十がらみの男で、山上の観音堂の前には、寄進の燈籠もあり、
信心家であった。本所の家の隣のおじさんと、気分の似たところもあって、小菊には頼も....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
侮蔑を見せたが、今年来て見た時は、眼色に争われぬ尊敬を現わした。其れに引易え、或
信心家は最初片っ方しか無い車井の釣瓶なぞに随喜したが、此頃ではつい近所に来て泊っ....
「新版 放浪記」より 著者:林芙美子
なぞと気取った題をつけても、原稿は案外戻って来る。何も、奇蹟なぞありようがない。
信心家の貧しい少女が、パレスチイナでの地を支配する物語なぞ、犬に食われてしまうの....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
或いは世界に施して惇《もと》らぬように示す義務があるだろう。
処で「無我愛」の
信心家伊藤証信氏は、どういう動機からか判らないが、「日本精神の真髄」という論文を....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
恵は米友には出ない。出て来たところで彼の良心が許さない。この場合、不動尊の殊勝な
信心家が現われて、この画像を米友の手から乞い受けて、祀《まつ》りあがめる人が出て....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
はあったね。鬼鉄《おにてつ》、なるほど、そうかも知れぬ。だが、感心に若い時分から
信心家でな、八つぐらいの歳から観音様を信仰していたものだとさ。面白い話が一つある....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
っぽい顔、平たい頬《ほお》、引きしまった口をもっていた。ジェルマン老夫人のほうは
信心家でいつも教会堂にばかり行っていた。若夫人は一人でしつこく喪にこもっていた。....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
は、姪《めい》の子を喜ばせるために、それに気づかないふうを装っていた。――二人の
信心家が僧侶の敵たる紙屋をそういうふうに拘束してることは、古靴屋の憤慨の種ともな....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
の差別待遇で、万事に主人側と雇人との区別がきちんとしていた。 それから夫妻とも
信心家で、二十一日は川崎の大師様、二十八日は成田様、五日は水天宮様、というふうに....
「双面獣」より 著者:牧逸馬
てこれら凡べてが、此の Adolph Hotelling 長老――何と穏厚篤実な
信心家! ――実に穏厚な活躍であったことを突き留めたのは、この時訊問に当ったリチ....
「おばけずきのいわれ少々と処女作」より 著者:泉鏡花
僕は随分な迷信家だ。いずれそれには親ゆずりといったようなことがあるのは云う迄もない。父が熱心な
信心家であったこともその一つの原因であろう。僕の幼時には物見遊山に行くということ....
「麦の芽」より 著者:徳永直
の芽を掻き起してやりながら麦の芽にあやまった。 善ニョムさんは、老人のわりに不
信心家だが、作物に対しては誰よりも熱心な
信心家だった。雲が破けて、陽光が畑いちめ....