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俣
「俣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
俣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
いうに、彼は鳥獣採集人としての世界的フリーランサーだ。この商売の名は、海南島の勝
俣翁によってはじめて知った方もあろうが、日本はともかく、海外ではなかなかの収入に....
「生きている腸」より 著者:海野十三
」 「ああ、○○刑務病院かね。――ふん、熊本博士をよんでくれたまえ。僕か、僕は猪
俣とでもいっておいてくれ」 と、彼はなぜか偽名をつかい、横柄な口をきいて、交換....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
と喜んで迎えてくれた。 二十七日 快晴 六・〇〇出発 一〇・三〇―一一・〇〇一ノ
俣 二・三〇大槍小屋スキー・デポ 五・一五槍頂上 七・〇〇スキー・デポ 九・三〇....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
午後六時である。 先鋒 柿崎大和守 中軍(旗本)色部修理進 竹
俣三河守 村上 義晴 島津 規久 右備 新発田尾張....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
部と、第一旅団の一部を本軍として、正面から攻撃することになり、第一旅団の残部は二
俣を目指すことになった。本軍の先鋒青木大尉は、率先して進み、第一塁を陥れて勇躍更....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
させることにした。 江雪斎も、それを諒承して帰った。所が、沼田の城代となった猪
俣範直と云う武士が、我無しゃらで、条約も何にも眼中になく、真田領の名胡桃まで、攻....
「春の上河内へ」より 著者:板倉勝宣
スキーで中房へ越えるのは駄目だと思った。再びスキーをつけて、槍ガ岳を右に見て一ノ
俣に降る。大きなボーゲンを画いて木の間を縫いながら十分ばかりで降りた。雪は一丈余....
「薬草取」より 著者:泉鏡花
って、さて、 「姉さん、お前さんは麓の村にでも住んでいる人なんか。」 「はい、二
俣村でございます。」 「あああの、越中の蛎波へ通う街道で、此処に来る道の岐れる、....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
鼠黒い灰が一面にある。少々先きの嶮崖を下れば、梓川の本流と飛騨|高原川の支流、右
俣との水源地で、大きな鞍部、大槍に用のない猟手らは、常に此処を通って、蒲田谷方面....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
の共同生活が行われた。 当時の仲間は、和田巌、中村高一、平野力三、三宅正一、川
俣清音、宮井進一、吉田実、田所輝明、稲村隆一等々で、学生が若き情熱に燃えて社会主....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
モトを連ねて農民運動にとびこんだ。日農から平野力三は山梨県、三宅正一は新潟県、川
俣清音は秋田県というように、それぞれ分担地区を割当てられ活躍したものである。これ....
「古事記」より 著者:太安万侶
にマメが出來ました。カムムスビの命が、これをお取りになつて種となさいました。 八
俣《やまた》の大蛇《おろち》 ――スサノヲの命は、高天の原系統では暴風の神で....
「釜沢行」より 著者:木暮理太郎
出合に達した。一時間半は懸ると思ったのが三十分早く着いた。此処は大井川の支流信濃
俣のガッチ河内と中
俣との合流点から、中
俣を見た景色に似ている。岩壁が高く、谷が狭....
「秋の鬼怒沼 」より 著者:木暮理太郎
後二時出発。三時十分|小在池沢。四時黒沢。湯沢の合流点より左岸の道を歩みて五時川
俣温泉着、泊。 日光沢には十余の瀑布あり。五万の地図に「光」の字の上にて西方より....
「黒部川を遡る 」より 著者:木暮理太郎
の畔に下り、そこから右に岩径を伝いて小窓の雪渓に出で、やがて三窓の雪渓と合した北
俣の河原を辿って、劒沢との出合に達した。九時四十五分。 このあたりの様子は、四....