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修史
「修史〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
修史の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
れた。おそらく水戸ほど当時の青年少年の心を動かしたところはなかったろう。彰考館の
修史、弘道館の学問は言うまでもなく、義公、武公、烈公のような人たちが相続いてその....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ある徳川時代にあってとにもかくにも歴史の精神を樹立したのは水戸であった。彰考館の
修史、弘道館の学問は、諸藩の学風を指導する役目を勤めた。当時における青年で多少な....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
声の高まったことであり、その声は水戸藩にも尾州藩にも京都儒者の間にも起こって来た
修史の事業に根ざしたことであった。そういう中で、最も古いところに着眼して、しかも....
「李陵」より 著者:中島敦
は己のまた起《た》ちがたきを知るや遷を呼びその手を執《と》って、懇《ねんご》ろに
修史《しゅうし》の必要を説き、己《おのれ》太史《たいし》となりながらこのことに着....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
妻が東京にあって投機のために多く金を失った。その後道悦は保が重野成斎に紹介して、
修史局の雇員にしてもらうことが出来た。子道太郎は時事新報社の文選をしていたが、父....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
しく思われる。藤野は後に藩の権大参事兼公議人となり、大学本校少博士ともなり、また
修史館が出来た時にはその編輯官ともなった。号を海南といい、最初幕府の昌平塾の塾頭....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
せられる。なおこの系図はその後一時人手に渡ったこともあり、また明治十八年には内閣
修史局のモトメに応じて差しだし、内閣
修史局で模写をつくり原本を本主に返したともあ....