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倶に
「倶に〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
倶にの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の主人喜左衛門は親類共と寺まいりに行った。重吉も一緒に行った。かれはお朝と運命を
倶にすべくして無事に助かった幸運の男であった。参詣がすんで、七ツ(午後四時)過ぎ....
「深夜の市長」より 著者:海野十三
るを以て、早くも後任市長の候補者が話題に上っているが、有力者の一部では見識手腕|
倶に優れた清廉の士現市議中の大立物動坂三郎氏を推さんとする説が有力である。―― ....
「空中墳墓」より 著者:海野十三
ぐうしろにつづいてこれを静かに追っているかのように見えた。追うも追われるも、これ
倶に屍体にあやつられる浮船である。私が企てた復仇を待つまでもなく今|天涯にのがれ....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
わるるような見ぐるしき最期は遂げまい。 わが祖先の諸霊よ! われらの上に来りて
倶に戦い、共に衛り給え。われら一家七名の者に、無限不尽の力を与え給わんことを! ....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
も、源氏より北条に移って、北条もまた亡びた。これにくらべると、秀頼と相抱いて城と
倶にほろびた淀君の方が、人の母としては却って幸いであったかもしれない。 帰り路....
「四日間」より 著者:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ
う。 で、まず、キシニョーフへ出て来て背嚢やら何やらを背負されて、数千の戦友と
倶に出征したが、その中でおれのように志願で行くものは四五人とあるかなし、大抵は皆....
「棺桶の花嫁」より 著者:海野十三
った。いや憚るところもなくといっても、彼等二人は晴れて同棲を始めたわけではなく、
倶に追わるる身の、やがて必然的に放れ離れになる日を覚悟して、僅かに残る幾日かの生....
「世界怪談名作集」より 著者:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ
めて、この奇蹟的な死からよみがえった彼を見せて、もう一度それらの人々とその喜びを
倶にした。近所の町や近在からも見識らぬ人たちがたずねて来て、この奇蹟を礼讃して行....
「世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
しの人……。わたしたちはなんともいえないほどに幸福です。これから美しい黄金生活を
倶にしましょう。わたしたちはいつ出発しましょうか」 「あした、あした……」と、わ....
「世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
に帰ってくれることを望んでいたが、彼女の運命は鏡のうちに含まれていて、鏡と運命を
倶にしているのである。彼はそれについて更に焦燥を感じた。彼としては、彼女が鏡を持....
「バークレーより」より 著者:沖野岩三郎
き塔とは世々に其の美と美の価値を人の心に悟らしめるであろう。その存続は此の大学と
倶に永久であろう。しかも大学は文化の連鎖に切断の生じない限り人類社会に破滅の来る....
「新しき世界の為めの新しき芸術」より 著者:大杉栄
望と引離される事は出来ない。民衆芸術は、民衆の苦痛と、其の希望と、其の闘争とを相
倶にしなければならない。 如何なる美も、如何なる偉大も、青春や生命の代わりをす....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
っていた鬱憤や嫉妬や憎悪が一度に発露して、勝利者は勿論、現在かれらと敗北の運命を
倶にした味方すらも、ことごとく彼等の敵となってしまったので、師直兄弟はもうどうし....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
自分らが不覚にして王妃らにかかる恥辱を見せたる罪を謝するところは、文字通り声涙|
倶に下るの悲壮な場面で、この場が最も好評を博していたのであるが、興行の中途で朝鮮....
「松の操美人の生埋」より 著者:宇田川文海
の翌十八年の夏酷暑と悪病を避けて有馬の温泉に浴す。端なく会人無々君と邂逅して宿を
倶にす。君は真宗の僧侶にして、学識|両ら秀で尤も説教に長ぜりと。君一日浴後居士の....