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倶楽部
「倶楽部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
倶楽部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「河童」より 著者:芥川竜之介
ちはたいてい同意見を持っているようです。現に僕はトックといっしょにたびたび超人|
倶楽部《クラブ》へ遊びにゆきました。超人
倶楽部に集まってくるのは詩人、小説家、戯....
「湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
宿のこともBさんに任《ま》かせっきりになっているんだが、………」
「宿は日本人|
倶楽部《くらぶ》に話してある。半月でも一月でも差支えない。」
「一月でも? 常談....
「魔術」より 著者:芥川竜之介
った後《のち》のことです。これもやはりざあざあ雨の降る晩でしたが、私は銀座のある
倶楽部《くらぶ》の一室で、五六人の友人と、暖炉《だんろ》の前へ陣取りながら、気軽....
「星座」より 著者:有島武郎
真黒に燻《くすぶ》らして暗く灯っていた。机の片隅には「青年文」「女学雑誌」「文芸
倶楽部」などのバック・ナムバアと、ユニオンの第四読本と博文館の当用日記とが積んで....
「夜行巡査」より 著者:泉鏡花
《じんすい》を、讃歎《さんたん》するもの無きはいかん。 (明治二十八年四月「文芸
倶楽部」)....
「画学校時代」より 著者:上村松園
ったのです。 当時、京都に如雲社といって、京都画壇連合の月並展覧会が、今の弥栄
倶楽部の辺にあった有楽館でひらかれましたが、世話人がお寺や好事家から借りて来た逸....
「木の子説法」より 著者:泉鏡花
打に切って棄てる場所に……伏屋の建具の見えたのは、どうやら寂びた貸席か、出来合の
倶楽部などを仮に使った興行らしい。 見た処、大広間、六七十畳、舞台を二十畳ばか....
「開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
うてた。それ等がたよりで、隠居仕事の寮番という処を、時流に乗って、丸の内辺の某|
倶楽部を預って暮したが、震災のために、立寄ったその樹の蔭を失って、のちに古女房と....
「活動写真」より 著者:淡島寒月
。私は日本製のものは嫌いで見ないから一向知らないが、帝国館や電気館あるいはキネマ
倶楽部などの外国物専門の館へは、大概欠かさず見に行く。しかして回を追って、筋の上....
「小杉未醒氏」より 著者:芥川竜之介
氏の外貌に欺かれているなと云う気がした。 成程小杉氏は一見した所、如何にも天狗
倶楽部らしい、勇壮な面目を具えている。僕も実際初対面の時には、突兀たる氏の風采の....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
人のニコルの家へ集って、科学の雑誌を読んだりした。 一八二三年には、アセニウム
倶楽部ができた。今のパル・マルにある立派な建物はまだなくて、ウォータールー・プレ....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
同 十年 「天保歌妓」春虹会展出品「鴛鴦髷」東京三越展出品「春の粧」大阪美術
倶楽部記念展出品「土用干」東京三越展出品「夕べ」五葉会展第一回出品「春苑」東京高....
「おばけずきのいわれ少々と処女作」より 著者:泉鏡花
あらずであったろう。 二十七八年戦争当時は実に文学者の飢饉歳であった。まだ文芸
倶楽部は出来ない時分で、原稿を持って行って買ってもらおうというに所はなく、新聞は....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
イルあり。午時領事館に至り、総領事代理船津辰一郎氏に面会し、同氏の好意により香港
倶楽部楼上において午餐を喫す。窓前に踞して湾内を一瞰すべし。新聞室、図書室の設備....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
勢をあげたものである。 それ以後は、この文化同盟と、暴行学生の中心団体たる縦横
倶楽部という右傾学生の集団との間に対峙が続いて、われわれは捕まると殴られるという....