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備中
「備中〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
備中の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
した上で、本人を受け取って行くのです。そこで、千右衛門の申し立てによると、自分は
備中松山五万石板倉|周防守《すおうのかみ》の藩中であると云うので、辻番所からはす....
「去年」より 著者:伊藤左千夫
、消毒の人夫、かれこれ四十人ばかりの人たちが、すこぶるものなれた調子に、撲殺の準
備中であった。牛の運動場には、石灰をおびただしくまいて、ほとんど雪夜のさまだ。 ....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
其場より遁走いたしました。これに対して○国人側も非常に怒り、復讐を誓って、唯今準
備中であります。両国の外交問題は、俄然険悪となりました。以上。 尚追加ニュース....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
康政共に年二十三歳であったから、血気の働き盛りなわけであった。 朝倉方は、黒坂
備中守、小林|瑞周軒、魚住|左衛門尉を先頭として斬ってかかった。徳川家康としても....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
武将の花と云ってよかった。 正月二十六日の午前二時、宗茂の軍は、十時但馬、森下
備中の二士に銃卒各数十人を率いさせて斥候に出した。この時坡州の李如松も亦出登して....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
正十年六月二日で、山崎合戦は同じく十三日である。秀吉の用軍の神速知るべしである。
備中の陣に、兇報が来たとき、黒田如水は秀吉に悔みを云うかわりに、するすると傍へ寄....
「火薬船」より 著者:海野十三
―というと、そこはちょうど香港を真南に三百五十キロばかりくだった海面であるが、警
備中のわが駆逐艦松風は、一せきのあやしい中国船が前方を南西へむかって横ぎっていく....
「空襲警報」より 著者:海野十三
「やあ鉄造さん。よく帰ってきてくれたね」 と、分団長の丸福酒店の主人、神崎後
備中尉は、嬉しそうに、鉄造の手をとった。 「おお、分団長。……昨夜は汽車のなかで....
「売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
、前掛の真田をちょきんと結んだ、これも医学の落第生。追って大実業家たらんとする準
備中のが、笑いながら言ったのである。 二人が、この妾宅の貸ぬしのお妾――が、も....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
取にむけて出陣した。 織田信長が本能寺で明智光秀に攻めほろぼされた時に、秀吉は
備中高松から引っ返して来て、まずこの姫山の城で軍議を開いて、亡君の弔いいくさのた....
「迷信解」より 著者:井上円了
いうものあり。四国には猿神というものあり。備前には犬神というものあり。また備前、
備中には日御崎というものあり。
備中、備後にトウビョウというものあり。いずれも人に....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
一巻 応永二十四年成 などがある。その門弟が正徹であった。 正徹は
備中の出身であるが、その祖先は不明である。弘和元年(『新葉集』の成った年)に生れ....
「雨」より 著者:織田作之助
からね、と真面目にいいきかせるのだった。彼は、国漢文中等教員の検定試験をうける準
備中であった。お君は金より大事な忠兵衛さん、その忠兵衛さんを科人にしたのもみんな....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
き掃除や早朝の門前掃除で手足はしもやけで赤ぶくれになった。特に意地が悪かったのは
備中の笠岡からきていたお米である。私がこっそりあたたかい飯を自分の茶わんに入れよ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ある研究対象であるとの年来の考えを一層深くしたのであった。明治四十三年頃、韓国守
備中に、箕作博士の『西洋史講話』を読んで植え付けられたこの点に関する興味が、不断....