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「儒学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

儒学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
私の父と母」より 著者:有島武郎
時代としては新しい教育を受けた方だが、その根柢をなしているものはやはり朱子学派の儒学《じゅがく》であって、その影響からは終生脱することができなかった。しかしどこ....
星座」より 著者:有島武郎
石は徳川時代における傑出《けっしゅつ》した哲学者であり、また人間であると思った。儒学《じゅがく》最盛期《さいせいき》の荻生徂徠《おぎゅうそらい》が濫《みだ》りに....
雛妓」より 著者:岡本かの子
程度で家督を護らせられている壮年者もある。 横浜開港時代に土地開発に力を尽し、儒学と俳諧にも深い造詣を持ちながら一向世に知られず、その子としてただ老獪の一手だ....
運命」より 著者:幸田露伴
遂に兪氏を冒して、子孫|繁衍し、万暦三十七年には二百|余丁となりしこと、松江府の儒学の申文に見え、復姓を許されて、方氏また栄ゆるに至れり。廖氏等拾骸の功また空し....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
輩は最初水戸の学問からはいったが、暮田正香と相知るようになってから吉川流の神道と儒学を捨て、純粋な古学に突進した熱心家であるばかりでなく、篤胤の武学本論を読んで....
斗南先生」より 著者:中島敦
あったという。六歳にして書を読み、十三歳にして漢詩漢文を能《よ》くしたというから儒学的な俊才であったには違いない。にもかかわらず、一生、何らのまとまった仕事もせ....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
では一見モダーンに見えるヨーロッパ的「解釈学」に基いていた。これが他の教育家風や儒学者風の倫理学に較べて、著しく現代的文化性を有つ所以だ。と同時にここに吾々が警....
認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
ノエティック)系統の文化的自由主義哲学であり、後者は多くの日本主義哲学や仏教徒や儒学者の思想体系がその例となる。封建的・中世的・古代的・なカテゴリーを、いきなり....
涼亭」より 著者:田中貢太郎
よく判っているし、非常にありがたいが、わしはどうも性に合わない。わしも若い時は、儒学によって身を立てようと思ったことがあるが、考えてみれば、大官となり大儒となっ....
再び科学的精神について」より 著者:戸坂潤
しての自覚が大切なのだ)。真に教学としての神道に基礎をおいたものは江戸時代初期の儒学者である林羅山だと云われるのは興味のあることだ(本教・徳教・神教・大道・古道....
作画について」より 著者:上村松園
場面をひと一倍興味深く読み覚えていたせいもありましょう。 私が一番最初に通った儒学者は市村水香先生で、その市村先生のところへは夜分漢学の素読やお講義を聴きに参....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
れ、当職が召出して藩主の命を伝えました。それは、「一代|還俗仰付けらるゝに依り、儒学を修業すべし」というのでした。還俗は医者を罷めることなのです。つまり僧と同じ....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
るべきである。また、この外曾祖父が或る日の茶話に、馬琴は初め儒者を志したが、当時儒学の宗たる柴野栗山に到底及ばざるを知って儒者を断念して戯作の群に投じたのである....
西瓜」より 著者:永井荷風
いないので、今これを詳《つまびらか》にすることができない。しかし平生《へいぜい》儒学を奉じておられた事から推量しても、わたくしが年少のころに作った『夢の女』のよ....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
の事務はみな漢文の記録にたよらなくてはならなかった。大学は官吏養成のために漢文と儒学とを教授したのである。随って宮中の雅宴に唐の法式が影響して、漢詩の制作がはじ....