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「元和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

元和の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
古千屋」より 著者:芥川竜之介
一 樫井《かしい》の戦いのあったのは元和《げんな》元年《がんねん》四月二十九日だった。大阪勢《おおさかぜい》の中でも....
おぎん」より 著者:芥川竜之介
元和《げんな》か、寛永《かんえい》か、とにかく遠い昔である。 天主《てんしゅ》....
るしへる」より 著者:芥川竜之介
うす》と云う天主教を弁難した書物のある事は、知っている人も少くあるまい。これは、元和《げんな》六年、加賀の禅僧|巴※※《はびあん》なるものの著した書物である。巴....
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
持ち物でもお前さまの御自由には相成りませぬと言い切った。その鎧は御先祖さまが慶長元和|度々《どど》の戦場に敵の血をそそいだ名誉のお形見で、お家《いえ》に取っては....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
りであった。 この時代には引きつづいて江戸の将軍の上洛《じょうらく》があった。元和《げんな》九年には二代将軍秀忠が上洛した。つづいてその世子《せいし》家光も上....
恩を返す話」より 著者:菊池寛
を持っていることが知れるに従って、一藩の人心はいよいよ猛り立った。家中の武士は、元和《げんな》以来、絶えて使わなかった陣刀や半弓の手入れをし始めた。 松倉勢《....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
《はやて》の過ぎるのを待つように耳を塞いで突伏《つっぷ》しているばかりであった。元和《げんな》元年五月七日の朝は、数日来の陰天名残りなく晴れて、天色ことのほか和....
金魚撩乱」より 著者:岡本かの子
がぽつぽつ調べかけている金魚史の上では、初めて日本へ金魚が輸入され愛玩され始めた元和あたりがちょうどそれに当っている。すると金魚というものはバロック時代的産物で....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
来、市中で刺青をしている者どもは、みな争ってそれを焼き消してしまった。 また、元和の末年に李夷簡という人が蜀の役人を勤めていたとき、蜀の町に住む趙高という男は....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
寺の龍 政陽郡の東南に法喜寺という寺があって、まさに渭水の西に当っていた。唐の元和の末年に、その寺の僧がしばしば同じ夢をみた。一つの白い龍が渭水から出て来て、....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
、旅をする者は多くここに休んだり、泊まったりして、店はすこぶる繁昌した。 唐の元和年中、許州の趙季和という旅客が都へ行く途中、ここに一宿した。趙よりも先に着い....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
尭、義|弘、義|頼、義|康の九代を伝えて、十代目の忠義でほろびたのである。それは元和元年、すなわち大坂落城の年の夏で、かの大久保|相模守の姻戚関係から滅亡の禍い....
真田幸村」より 著者:菊池寛
人夫を使って、地形までも跡方もなく削り取り、昌幸伝授の秘法の跡をとどめなかった。元和元年になると東西の和睦は既に破れ関東の大軍、はや伏見まで着すと聞えた。 五....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
から数えるとおよそ三百年、ほとんど絶え間なしに打ちつづいた日本国じゅうの争乱も、元和元年の大坂落城を最後としてひとまず静謐に帰したが、寛永十四年の冬から十五年の....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
とて、規模すこぶる広大で、なかなか五万石や十万石の大名の持ち切れるものではない。元和八年最上氏改易後は、ほとんど定ったる城主もないと言ってよいほどで、鳥居氏以下....