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元文
「元文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
元文の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「眼帯記」より 著者:北条民雄
(昭和十一年『文学界』九月号) ※一部、東京創元社の「定本北條民雄全集 下」(創
元文庫版)を元に訂正しました。(校正者注)....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
元文年間の物語。―― 夜な夜な名古屋城の天主閣で、気味の悪い不思議な唸り声がし....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
より衍《ひ》いて諸般の天象を竜の所為《しわざ》としたのは、例せば『武江年表』に、
元文二年四月二十五日|外山《とやま》の辺より竜出て、馬場下より早稲田町通りを巻き....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
る。 抽斎の碑の西に渋江氏の墓が四基ある。その一には「性如院宗是日体信士、庚申
元文五年閏七月十七日」と、向って右の傍に彫ってある。抽斎の高祖父|輔之である。中....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
秘伝聞書』に祝言《しゅうげん》の供に猿皮の空穂《うつぼ》を忌む。『閑窓自語』に、
元文二年春、出処不明の大猿出でて、仙洞《せんとう》、二条、近衛諸公の邸を徘徊せし....
「四次元漂流」より 著者:海野十三
ちゃんとしていた。そしていよいよ重要書類と木見学士の研究ノートの間から抜いた『復
元文献抄』の入れてある引出が、課長の手によってぬきだされ、中が改められた。 「あ....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
年に病死した。右兵衛景通から四代目である。五世弥五右衛門は鉄砲十挺頭まで勤めて、
元文四年に病死した。六世弥忠太は番方を勤め、宝暦六年に致仕した。七世九郎次は番方....
「最後の一句」より 著者:森鴎外
元文三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乗り業|桂屋太郎兵衛というものを、木....
「藤九郎の島」より 著者:久生十蘭
、丹念にとり集めて古釘で打ちつけ、三年がかりで、長さ七十尺の船をこしらえあげた。
元文元年の二月のことだった。 船ができたところで、渡航の準備にかかった。大桶《....
「平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
とを驚かせようなんてえのじゃない。そんな茶気《ちゃき》のある親爺じゃないんです。
元文《げんぶん》以来の御改鋳《ごかいちゅう》でいずれ金の品位が高くなると見越した....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
したか》(浄園公)が琉球からその苗竹を薩州鹿児島に致さしめたによるのだが、それは
元文元年(1736)であった。それからこのモウソウチクで薩摩を起点として漸次に我....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
神の変転せる跡を窺ふに難《かた》からざるなり。元禄において江戸演劇を創生し享保|
元文《げんぶん》年代に至つて河東節《かとうぶし》を出《いだ》したる都会特殊の芸術....
「澪標」より 著者:外村繁
三年には名古屋へ行商に行き、享保十一年には江戸に入っている。同年、文庫蔵を建築、
元文二年には本宅を改築、更に延享三年には隠居所を新築している。宝暦三年、名古屋で....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
を洗って外へ出る事は出来なかったが、外から部落へ流れこむ事は比較的自由であった。
元文の頃になっても、京都蓮台野のエタ伊兵衛が、町人近江屋伊兵衛の抱え女ちよを妻と....