元暦[語句情報] »
元暦
「元暦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
元暦の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「死までを語る」より 著者:直木三十五
、剣舞の真似と、芝居の真似とをするものであるが、これは、大変、気に入って 頃は
元暦元年の どんどん 源平、須磨の、戦いに いつか、放送局で、この節をや....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
う伝説のあるなども、それを裏書してあまりあるように思われる。 一 斉衡
元暦の地震、安元の火事 日本の地震で最初に文献にあらわれているのは、「日本書紀....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
とが分かる。 この歌は、第二句ナツキニケラシ(旧訓)、古写本中ナツゾキヌラシ(
元暦校本・類聚古集)であったのを、契沖がナツキタルラシと訓んだ。第四句コロモサラ....
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
朝卿《よりともきょう》東国追討のみぎり、この地にいたり、不思議の霊夢をこうむる。
元暦《げんれき》元年|甲辰《こうしん》勧請《かんじょう》。
また、指《さす》ヶ....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
般に武士を示すの語となれり。『太平記』俊基朝臣東下りの道行のうち、池田宿の条に、
元暦元年の比かとよ、重衡の中将の、東夷の為に囚はれて、此の宿に付き給ひしに、「東....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
武家の官位は必ずその推挙によるべきことに定めていたのであった。 しかるに義経は
元暦元年八月に、その手続きを経ずして左衛門少尉に任ぜられたがために、はなはだしく....
「法然行伝」より 著者:中里介山
父清盛の命によって南都を攻め、東大寺の大伽藍《だいがらん》を焼いて了った。その後
元暦元年二月七日、一ノ谷の合戦に生捕られて都へ上り、大路をわたされたり様々の憂き....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
末期へかけて諸学者が訓をつけたのが次点、そして源|頼朝が鎌倉へ幕府の基礎を置いた
元暦元年に、有名な『
元暦校本万葉集』が成った。その頃まだ百五十首ばかり読めない歌....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
豊前の大里の浦か」 「左様でございます」 「思い出した――この辺りの浦々や島は、
元暦の昔、九郎|判官殿や、平の知盛卿などの戦の跡だの」 こういう話などしていて....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
。彦島ヲ以テ 営ト定メ、追討使ヲ相待…… 云々(東鑑) などの記載や、盛衰記の
元暦元年の条には、義経の軍が兵船を仕立てて知盛の引島城(彦島)を攻略するの記事な....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
平両軍の激戦地、相引川というのでして……」と頃は寿永二年の平家都落ちから始まって
元暦二年の屋島、壇ノ浦までの戦史を、読むように、しかも、歴史に誤謬はあろうと、山....