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「先鋒〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

先鋒の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
はない。現に民主主義という英、米は全体主義の中国を味方に編入し、殊に全体主義の最先鋒ソ連に秋波を送りつつある。主義よりもむしろ利害関係ないし地理的関係が主である....
四十年前」より 著者:内田魯庵
閣の諸公から先きへ立って浮れたのだから上流社会は忽ち風靡された。当時の欧化熱の急先鋒たる公伊藤、侯井上はその頃マダ壮齢の男盛りだったから、啻だ国家のための政策ば....
穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
いつまで待っても、霽れそうもなければ、正午一行と別れ、予とフ氏とは、嘉門次父子を先鋒とし、陸地測量部員の他、前人未知の奥穂高を指す。北の方|嶮崖を下る八、九丁で....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
史劇を公けにして、その時代においては議論の方面にも、実行の方面にも、演劇改良の急先鋒であった。 その「文覚」の四幕目で、団十郎の文覚が院の御所へ闖入して勧進帳....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
繰りその頁を検事に突き付けた。 (グスタフス王の歿後、ワイマール侯ウイルヘルムの先鋒銃兵ホイエルスヴェルダに現われるに及び、初めて彼が、シレジアに野心ある事明ら....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
る。エセックスは、彼のうえに友情の目を注ぎ続けた。なぜなら、伯爵は反スペイン党の先鋒だったからである。一方、セシル父子は当然平和論者だった。両国のどちらに利益を....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
道犬等、浅野|長晟の兵を迎え撃たんとして、住吉、堺を焼き、兵火を利用して南下し、先鋒の塙団右衛門|直之は、樫井に於て、浅野の先鋒亀田大隅と戦って敗死した。 団....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
、京に至る事は出来ない。そこで、義元は当時駿河の国府に居らせた松平竹千代に、その先鋒を命じた。竹千代即ち、後年の徳川家康である。竹千代不遇であって、始めは、渥美....
小田原陣」より 著者:菊池寛
い大誤算を犯したと云うべきだ。 秀吉の出陣 天正十八年二月七日、先鋒として蒲生|氏郷が伊勢松坂城を出発した。続いて徳川家康、織田信雄は東海道から....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
。この時の越軍の軍隊区分は次の如くで、やがて行動を開始した。時に午後六時である。先鋒 柿崎大和守 中軍(旗本)色部修理進 竹俣三河守 ....
真田幸村」より 著者:菊池寛
る者も相当あった。 然し、幸村は「爰を辛抱せよ。片足も引かば全く滅ぶべし」と、先鋒に馳来って下知した。一同、その辺りの松原を楯として、平伏したまま、退く者はな....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
もなかった。何時までも、それだからと云って、待つわけにもゆかないので、三月七日、先鋒の大将として、佐久間|玄蕃允盛政、従う者は、弟保田安政、佐久間勝政、前田又左....
島原の乱」より 著者:菊池寛
い。重昌、貞清、諸将を集めて明日城攻めすべく評議したが、有馬忠郷と立花忠茂は共に先鋒を争うのを重昌|諭して忠茂を先鋒と定めた。二十日の黎明、忠茂五千の兵をもって....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
て、正面から攻撃することになり、第一旅団の残部は二俣を目指すことになった。本軍の先鋒青木大尉は、率先して進み、第一塁を陥れて勇躍更に坂を上るが、薩軍の弾丸は雨の....
鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
破して京都へ入るつもりであったのかも知れない。 鳥羽街道は、大目付滝川播磨守が先鋒となり京町奉行の組与力同心を引き連れていた。人数も、わずかに数人で、籠手臑当....