入内[語句情報] » 入内

「入内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

入内の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
戸棚よりぷうっと火をふき出して燃えてしまったという。 隣家では細君と子供が、押入内に入っていて落弾に注意を払わなかった由。 ◯毎夜八十戸だ、二百戸だと焼ける。....
源氏物語」より 著者:紫式部
しれぬと、第一の皇子の御生母の女御は疑いを持っていた。この人は帝の最もお若い時に入内《じゅだい》した最初の女御であった。この女御がする批難と恨み言だけは無関心に....
源氏物語」より 著者:紫式部
くお持ちなさい」 帝はこんなふうに女御を慰めておいでになった。皇太子の母君で、入内して二十幾年になる女御をさしおいて藤壺を后にあそばすことは当を得たことである....
源氏物語」より 著者:紫式部
めい》であったのであろう。自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内《じゅだい》させる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。故....
源氏物語」より 著者:紫式部
あひがたきいつきのみことおもひてき さらに遥《はる》かになりゆくものを(晶子) 前斎宮《ぜんさいぐう》の入内《じゅだい》を女院は熱心に促しておいでになった。こまごまとした入用の品々もあ....
源氏物語」より 著者:紫式部
と、女房たちはきわだって驚いたふうも見せずに皆座敷の中へはいってしまった。宮の御入内の時に童形で供奉して以来知り合いの女房が多くて中将には親しみのある場所でもあ....
源氏物語」より 著者:紫式部
姫宮のお装束、櫛の箱などを特に華麗に調製おさせになって贈られた。院が昔このお后の入内の時お贈りになった髪上げの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見....
源氏物語」より 著者:紫式部
を大臣は申し上げてあったので、もう妙齢に達したはずであると、年月をお数えになって入内の御催促が絶えずあるのであるが、中宮お一人にますます寵が集まって、他の後宮た....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
歌というものは、大部分慈円との競作や、兼実の女|宜秋門院が後鳥羽天皇の女御として入内のときの屏風の歌や、良経邸での歌会の歌やばかりで占められているといってもよい....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いでだったが、やがて年経て、はからずも尊治が万乗の君となられたので、禧子にも女御入内の宣旨がくだり、またほどなく立后の儀も挙げられて、いまはただしく今上後醍醐の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
出であった。お若いころ、北山殿へ遊び、禧子を見染めて、よそへ盗み出し、やがて後に入内させたもので――それほどに、後醍醐もよくお遊びに出かけたことが「増鏡」の“秋....
私本太平記」より 著者:吉川英治
し、みかどからは「……いかにせし?」と、そのごも再三なお召である。で、ついにまた入内をやむなくしたが、前にもまして廉子が恐く、また廉子の目もなんとなくほかの寵妃....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ことわった。 いわゆる摂関家につらなる名門だ。そこの深窓の姫はいつの世でも女御入内の候補者であり、時をえれば中宮の位に即く。……いかに世とはいえ、東国のあらえ....
美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
いた。父の兼家もほかへやる気はない。やがて皇太子も御元服となられたのを機に、姫を入内させた。立后はべつであるが、尚侍に叙せられ、お添い臥しはかなうのである。麗景....