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入滅
「入滅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
入滅の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
である。此の年の正月、宗全の病※が伝えられて居る。 「去二十一日夜山名入道宗全|
入滅畢。其夜同一族大内新助降参方御陣に参候」(『寺社雑事記』) 此の宗全の死も....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
ございますからね。 僧二 誠に念仏宗の柱石でいらっしゃいます。 僧三 法然聖人御
入滅後法敵多き浄土門を一身に引き受けて今日の御繁盛をきたしましたのは、まったくお....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
た。世尊諸|比丘《びく》に向いその因縁を説きたまわく、昔|迦葉仏《かしょうぶつ》
入滅せるを諸人火葬し、舎利《しゃり》を収め塔を立てた時、居士女《こじのじょ》極め....
「連環記」より 著者:幸田露伴
らせて、室内|廓然、縄床に居て口に法花経を誦し、手に金剛の印を結んで、端然として
入滅したということである。布袋や寒山の類を散聖というが、増賀も平安期の散聖とも云....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
宗長ら聞きてこれを伴い帰えりしに、文亀二年の七月二十九日というに遂に相模の箱根で
入滅した。この報が京都に達し実隆の耳に入ったのは、それから約一か月半あまりの九月....
「親鸞」より 著者:三木清
一には法上師等、周異記によりていはく、仏、第五の主、穆王満五十三年壬申にあたりて
入滅したまふ。もしこの説によらば、その壬申よりわが延暦二十年辛巳にいたるまで、一....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
したいと思うのであります。 五 仏が涅槃に入られる時に、「我
入滅すとも我所説の法は滅不滅である、我所説の法以て汝が師と為せよ」といわれた。自....
「孔子」より 著者:和辻哲郎
』などにある物語は、アショカ王より古いとは思われない。もっとも釈迦に関してはその
入滅の年代さえも確定していないのである。自分は仏滅百年アショカ出世の伝説を是認し....
「法然行伝」より 著者:中里介山
まする。しかるに上人にはまだお寺を一つお建てになったということがございません。御
入滅の後は何処を御遺蹟といたしましょうか」 と尋ねた。法然答えて、 「一つの廟....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
て出家せられ、六年苦行、三十五歳にして道を得られ、四十五年間説法の後、八十にして
入滅せられた釈尊も、仏陀と称するのであります。 仏陀とは梵語(Buddha)の....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
認めておられるのである。また浄土宗の開祖法然上人の晩年に際して、弟子法蓮房が上人
入滅後何処を遺蹟とすべきやと問うたのに対して、上人の答えた語を「行状画図」に記し....