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入道の宮の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
源氏物語」より 著者:紫式部
情人として時々通って来ていた所々では、人知れず心をいためている女も多数にあった。入道の宮からも、またこんなことで自身の立場を不利に導く取り沙汰が作られるかもしれ....
源氏物語」より 著者:紫式部
や寺々へはこの間からのことが言いやられ、新たな祈りが依頼されたのである。私人には入道の宮へだけ、稀有《けう》にして命をまっとうした須磨の生活の終わりを源氏はお知....
源氏物語」より 著者:紫式部
所であるために源氏はその御殿とお親しくして、自然東宮の御後見もするようになった。入道の宮をまた新たに御母后《ごぼこう》の位にあそばすことは無理であったから、太上....
源氏物語」より 著者:紫式部
うと、みじめなふうになって生き長らえている人もあるであろうが大部分は故人である。入道の宮などのお年はどうであろう、この人の半分にも足らないでお崩《かく》れになっ....
源氏物語」より 著者:紫式部
女御で、たいした勢力を持っておいでになったが、それがずっとのちにお上がりになった入道の宮様にその当時はけおとされておしまいになった例もあるのだからね。その宮の母....
源氏物語」より 著者:紫式部
た亡き子を惜しんだ。 御寺の院は女二の宮もまた不幸な御境遇におなりになったし、入道の宮も今日では人間としての幸福をよそにあそばすお身の上であるのを、御父として....
源氏物語」より 著者:紫式部
とを見ていた人で、今も残っている女房は少しずつ当時の夫人の様子を話し出しもした。入道の宮が六条院へ入嫁になった時には、なんら色に出すことをしなかった夫人であった....
源氏物語」より 著者:紫式部
であった。朱雀院の御恩顧を受けた人たちとか、六条院に近づいていた人たちとかは今も入道の宮へ時おりの敬意を表しにまいることを怠らないのであった。この家の左近中将、....
源氏物語」より 著者:紫式部
ようでありながら実現する可能性に乏しかった。 その年に三条の宮は火事で焼けて、入道の宮も仮に六条院へお移りになることがあったりして、薫は繁忙なために宇治へも久....