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入部
「入部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
入部の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「デパートの絞刑吏」より 著者:大阪圭吉
行人が、建物の屋上を見上げたり、口々に喧ましく喋り合ったりしていた。 死体は仕
入部の商品置場に仮収容され、当局の一行が検死を終わった処であった。私達が其処へ入....
「正義と微笑」より 著者:太宰治
れぬ。下品な事だ。よく考えよう。 五月四日。火曜日。 晴れ。きょう蹴球部の新
入部員歓迎会が学校のホールで催された。ちょっと覗いてみて、すぐ帰った。ちかごろの....
「二、〇〇〇年戦争」より 著者:海野十三
」 「は」 ラック大将の命令一下、マイカ防衛兵団は、全力をあげて、かの大胆な侵
入部隊に立ち向った。 毒瓦斯部隊が、もちろん先頭に出て、盛んに瓦斯弾を、敵のま....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
だ(石崎文雅『郷談』)。それから娼家には殊に槌屋の家号多く、例せば宝永七年板『御
入部伽羅女《ごにゅうぶきゃらおんな》』四に、大阪新町太夫の品評が、槌屋理兵衛方に....
「水の女」より 著者:折口信夫
られていた。でも、乳部と宛てたのを見ても、乳母関係の名なることは察しられる。また
入部と書いてみぶの音韻知識から、宛てたものともとれる。 後にも言うが、丹生神と....
「話に聞いた近藤勇」より 著者:三田村鳶魚
であります。幕府が浪人を採用することは、まことに久しぶりのことでありまして、江戸
入部以後、これほど大きく浪人召集の手をひろげたことはなかったでありましょう。もっ....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
三さんの阪急百貨店は、一銭のコンミッションも要りません。年末にごく軽少なものを仕
入部主任に持参しましてたいへん叱られたことがあります。それで私の方もここだけには....
「扉は語らず」より 著者:小舟勝二
だ………」 と、最近ふとしたことで私と知り合いになった男――前S百貨店洋家具仕
入部員と自称する男――が話し始めた。同一平面上にある二つの直線は、之を充分に延長....
「或る部落の五つの話」より 著者:佐左木俊郎
いた。 竹駒稲荷大明神の祠は益々|賑って行った。あの猟犬ジョンが死んで以来、一
入部落の人気を煽った。そして不思議に、彼等は礼拝と賽銭とによってその病気から解放....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
ら、宇和島のこの鹿の子踊りは、藩祖伊達秀宗がかつて、奥州なる宗家から分れてここに
入部した際に、郷土の舞踊を移入したものだと謂われているのみならず、その歌詞にも確....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の所領であったものを、家康が没取して、これを藤堂高虎に与え、その藤堂藩は、昨年、
入部してから、上野城を改築し、年貢の改租やら治水やら国境の充実やら、目ざましく新....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
た彼の道を聴いてふかく学んでいた。 忠政は寛永八年に歿した。子の政朝が江戸から
入部して領をうけた。その時、叔父の出雲守忠朝の子の入道丸の分地も預かることになっ....
「遠野物語」より 著者:柳田国男
始めて早池峯に山路をつけたるは、附馬牛村の何某という猟師にて、時は遠野の南部家|
入部の後のことなり。その頃までは土地の者一人としてこの山には入りたる者なかりしと....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
らが寺家を延暦寺の末寺に寄付せんとして、これがために延暦寺の使いが清水寺の寺領に
入部し、南都の衆徒これを憤って延暦寺焼打ちの企てをなしたこともあった(『吾妻鏡』....