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八尾
「八尾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
八尾の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
ると、もう宮川町へ行かなければならぬと思い込んでいるらしかった。宮川町が見える「
八尾政」へビールをのみにはいったりすると、もうそれは決定的なものになったという顔....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
ろ名将の器である。「男は一人もなし」と雑言しても、関東勢返す言葉はなかったろう。
八尾若江の戦 五月六日、片山道明寺附近の会戦と同日、
八尾若江方面にも激戦があっ....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
ると云う有様であった。 然るに楠軍は一旦兵を河内に還して居る。そして九月九日に
八尾城を攻撃し、十七日には河内の藤井寺附近に於て、大いに顕氏の軍を破り、正行は初....
「斗南先生」より 著者:中島敦
持さえしてくるのであった。 翌朝、大阪駅から乗ったタクシイの中で――従姉の家は
八尾にあった――三造はそっと自分の蟇口をのぞいて見た。前日の夕方、松田駅で、切符....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
玄琢は学才があるのに、父兄はこれに助力せぬので、貞固は書籍を買って与えた。中には
八尾板の『史記』などのような大部のものがあった。 この年弘前藩では江戸|定府を....
「神話と地球物理学」より 著者:寺田寅彦
いうのは熔岩流の表面の峨々たる起伏の形容とも見られなくはない。「その長さ谿八谷峡
八尾をわたりて」は、そのままにして解釈はいらない。「その腹をみれば、ことごとに常....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
とになりました。さすがの父も里子の私を不憫に思ったのでしょう。しかし、その時いた
八尾の田舎まで迎えに来てくれたのは、父でなく、三味線引きのおきみ婆さんだった。 ....
「岩魚の怪」より 著者:田中貢太郎
の※が腹をかえして片泳ぎをしていた。そこにもまた皮粕を入れた。山女や岩魚がまた七
八尾|半死になって浮いて来た。 一行は下へ下へと降って往った。そして、淵を見る....
「すっぽん」より 著者:佐藤垢石
を覚えていたのであった。そしてちかごろ、私が特に楽しかったのは立秋の後、越中の国
八尾町から二、三里山中の下の名温泉に旅して、そこの地元を流れる室牧川で釣った鮎が....
「瀞」より 著者:佐藤垢石
、掛かり鮎を手網に入れた。こうして、僅かに一時間ばかりの間に、立派な鮎を娘は七、
八尾掛けたのである。さきほどから、この瀞場で釣っている三、四人の釣り師があった。....
「姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
である。ちょうど、私がかつて世に紹介したことのある飛越国境に近いおわら節が有名な
八尾町の奥、神通川の支流室牧川の鮎に似て、良質の岩石から湧く麗水に育ったかを思わ....
「探偵小説思い出話」より 著者:山本禾太郎
になり関西在住の探偵小説作家に支援を乞うて、いよいよ創刊号を出すことになり四條の
八尾政で創刊記念の会を開いた。その時集った人達は西田政治さん、山下利三郎さんを筆....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
売も終りに近づくこととなりましょう。 今申しました紅殻入の紙は、越中|婦負郡の
八尾地方で作られます。土地では「赤傘の相竹」と呼びます。この町は和紙で誇るべきも....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
からくもすませて、出雲から海上まる一日を揺られて来た彼の船は、やっといま、島後の
八尾川ぐちへ入って、島第一の高峰、大満寺山を夕空に見つつ帆ぐるまの綱を解いていた....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
それについて、口々に。 「矢尾常正にござります」 「鷺平九郎の弟、十郎です」 「
八尾ノ新介です」 正成は叱るようにさえぎった。 「待て待て。おまえらはみな重傷....