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「八段〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

八段の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
に芍薬が紅く咲いていた。 旅館の門を出て右の小道をはいると、丸い石を列べた七、八段の石段がある。登り降りは余り便利でない。それを登り尽くした丘の上に、大きい薬....
薬草取」より 著者:泉鏡花
、何処を歩いたのか、どうして寝たのか。 翌朝はその小立野から、八坂と言います、八段に黒い滝の落ちるような、真暗な坂を降りて、川端へ出ていた。川は、鈴見という村....
坂口流の将棋観」より 著者:坂口安吾
であって、勝負じゃない。そして、はじめて本当の勝負というものをやりだしたのが升田八段と私は思う。升田八段は型だの定跡を放念して、常にたゞ、相手が一手さす、その一....
呉清源」より 著者:坂口安吾
前夜から、泊りこむことになっていた。 本因坊と私は、予定の時刻に到着したが、呉八段が現れない。呉氏の応援に、ジコーサマが津軽辺から出張して、呉氏の宿に泊りこん....
碁にも名人戦つくれ」より 著者:坂口安吾
でもなく実力第一人者を争う名人戦の人気である。昨日の名人もひとたび棋力衰えるや平八段となり時にBC級へ落ちることもなきにしもあらずである。実力だけで争う勝負とい....
巷談師」より 著者:坂口安吾
よろず、やる。 私は将棋の駒の動き方を知ってるだけだ。いつか読んだ将棋雑誌の某八段の説によると、こういうのを六十二級というのだそうだ。唯識三年|倶舎七年と云っ....
桂馬の幻想」より 著者:坂口安吾
木戸六段が中座したのは午後三時十一分であった。公式の対局だから記録係がタイムを記入している。津雲八段の指したあと、自分の手番になった瞬間に木戸は黙ってスッと立って部屋をでたので....
虫喰い算大会」より 著者:海野十三
ず第一着手は0を探すこと。これは容易である。答の十位の□は0である。なぜなれば、八段目をよく見ると一度に上から二桁下りている。だから答の十位は0であることは歴然....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
升田との初対面であった。そのほかに、名古屋在住の棋士で、明日の手合に立会人の板谷八段も来たが、彼は当時まだ五段ぐらいの無名の棋士であった。 升田も板谷も出来損....
可能性の文学」より 著者:織田作之助
題がもつれて、坂田は対局を遠ざかった。が、昭和十二年、当時の花形棋師木村、花田両八段を相手に、六十八歳の坂田は十六年振りに対局をした。当時木村と花田は関根名人引....
奇巌城」より 著者:菊池寛
げ出したが最後、海へ沈み込まれてしまうのさ。」 次にまた階段があった。三百五十八段であった。そこにも鉄の扉があって三角形の鉄板が四隅にあった。それは前の方法で....
勝負師」より 著者:織田作之助
た。なににも代えがたい大事の一局であった。その対局に坂田は敗れたのだ。相手の木村八段にまるで赤子の手をねじるようにあっけなく攻め倒されてしまったのである。敗将語....
吉岡芳兼様へ」より 著者:織田作之助
く雨と最後の坂田翁の聴く雨とを照応させて「聴雨」としたのです。因みに坂田翁が木村八段と対局した南禅寺の書斎には「聴雨」の二字を書いた額が掛っていたとのことです。....
東京文壇に与う」より 著者:織田作之助
豪放かつ不逞な棋風と、不死身にしてかつあくまで不敵な面だましいを日頃もっていた神田八段であったが、こんどの名人位挑戦試合では、折柄大患後の衰弱はげしく、紙のように....
」より 著者:織田作之助
じていない言葉を言ってしまった。小田に挑まれて、大阪劇場地下室で将棋をさし、花田八段的攻撃と称する小田に翻弄されて、ぺしゃんこになった。女と将棋とは違うからねと....