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八道
「八道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
八道の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「金将軍」より 著者:芥川竜之介
の後《のち》、その時の二人の僧、――加藤清正と小西行長とは八兆八億の兵と共に朝鮮
八道へ襲来《しゅうらい》した。家を焼かれた
八道の民は親は子を失い、夫は妻を奪われ....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
鶏林
八道蹂躙之事 対馬の宗義智が、いやがる朝鮮の使者を無理に勧説して連れて来たのは....
「安重根」より 著者:谷譲次
に一線の海。 壁は、露語と朝鮮語の宣伝びらや、切抜きや楽書でいっぱいだ。漢字で「
八道義兵」、「大韓独立」、「民族自決」と方々に大書してある。正面の窓の間に旧韓国....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
しょう》、酥乳《そにゅう》の粥《かゆ》を各八器に盛って俟《ま》て、然《しか》る時
八道人ありて汝が供物を食うはず、さて飲食《おんじき》しおわったら、汝杖を以て上座....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
のみであった。 中門を出る、多門を通る、平河門をくぐる。幾つかの門や濠の橋を又
八道心はうつつで越えた。 沢庵の後に尾いて悄々と歩く彼の足つきは、屠所の羊とい....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
るのだから」 山門といっても何の金碧もない茅葺門。本堂も貧しい寺だった。 又
八道心は、そこの庫裡のわきにある寝小屋の内へ友を導いた。 まだ彼は、正式にここ....
「三国志」より 著者:吉川英治
の布陣から地形など、克明に写して行った。こう紙の上に描き取ってみると、それは四至
八道という対陣になっていた。 次の日である。 呉の物見は、ひとつの山の上から....