公家衆[語句情報] » 公家衆

「公家衆〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

公家衆の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
日も多かろうが、何事もわしに免じて料簡せい。あれを産んだ母親は、そのむかし、都の公家衆に奉公したもの、縁あってこの夜叉王と女夫になり、あずまへ流れ下ったが、育ち....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
って来ます。」と吉左衛門が言う。 「現に、」伊之助は二人の話を引き取って、「あの公家衆の御通行は四月の八日でしたから、まだこんな改革のお達しの出ない前です。あの....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
納言が参府と帰国等、前代未聞の大通行が数え切れない上に、昨年日光御神忌に際しては公家衆と警衛諸役人らの通行が数日にわたって、ついには助郷村々も疲弊を申し立て、一....
元禄十三年」より 著者:林不忘
あり。御饗応前、お能見物の儀、御三家、両|番頭《ばんがしら》の内。御返答につき、公家衆地下一統出仕。おいとま仰せ出ださる。一同拝領物。発駕《はつが》之日、御馳走....
十二支考」より 著者:南方熊楠
を食うからコノミドリ、声高く呼ぶから呼子鳥《よぶこどり》というたらしい。 昔は公家衆《くげしゅう》など生活難から歌道の秘事という事を唱え、伝授に托して金を捲き....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
家のみであったと『蔭涼軒日録』の六月五日の条に見えているによって考えると、それら公家衆が総出で行なう儀式とても、その綺羅びやかさに至っては、五百以上の参衆を数う....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
直して、唄い出しました。 小野小町という美女は、情知らずか、いい寄った、あまたの公家衆のその中に、分けて思いも深草の少将。 まあ何んという美声でしょう。薄暗い....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
俘囚の上頭」と云い、その配下を称して「蛮陬夷落」、「虜陣戎庭」などと称し、京都の公家衆は清衡の子基衡を呼ぶに、「匈奴」の称を以てし、その子秀衡を呼ぶに、「奥州の....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
いている普通のものでありますが、仕事が大変丁寧な上に、特に形の品がよく、さながら公家衆が用いたものではないかとさえ見間違えるほどであります。そのまま能役者が用い....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ある。 三斎は忠利に一書を飛ばして、 京にて禁中向の儀承候。主上之御事不及申、公家衆も事と外物のきたる躰と申。主上御不足の一つには、公家中官位御まゝに不成との....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
しまった。そこで大江広元とか、中原親能とか、三善康信とかいうような、立派な京都の公家衆までが、自ら身をこの家人なる賤民の群に投じて、幕府の政治に参与する。ついに....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
ある。その中には非常な富豪もあって、徳川時代に知名の学者に依頼したり、或いは京の公家衆に因縁を求めたりして、都合のよい説を宣伝した。シュクは光仁天皇の皇子春日王....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
者を、その頃一般的にそう呼んだのでありましょう。ある時五位の蔵人のお役をつとめる公家衆が、革堂に参詣して、盛装した妙齢の婦人に出会い、そのあでやかな姿に引きつけ....