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公式主義
「公式主義〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
公式主義の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「演技指導論草案」より 著者:伊丹万作
。 ○俳優をしかってはいけない。彼はいっしょうけんめいにやっているのだから。私は
公式主義からこんなことをいうのではない。私は俳優を打ったこともある。私も人間であ....
「映画と癩の問題」より 著者:伊丹万作
持つものであろう。それは世の中へ何をつけ加えるというのだろう。 私は右のような
公式主義的な考え方が好きではない。本当の気持をいえば、芸術家が魂のやむにやまれぬ....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
の時代の問題にまで引きかえす処の反動をさえ意味しているのだ。
普通このやり口を
公式主義と一口に云うのだが、併しそう云うのは正確でない。公式は実は常に運用される....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
及浸透の度が加わるのである。日本の所謂左翼が有っていた一種過剰な純粋性――それを
公式主義とかセクト主義とか官僚主義とか其の他色々に云ったものだ――から来る反作用....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
しむに足りないだろう。マルクス主義と云えば何かレディーメードな着物のような一様な
公式主義的なものだと、この自由主義は決めてしまっていたのであり、又今でも現にそう....
「科学的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
を科学的に解明しつつあるものは、一体どういう種類の人達であったか。で誰が本当に「
公式主義者」であったか、
公式主義呼ばわりをどっかから覚えて来た連中にそう質問した....
「ひと吾を公式主義者と呼ぶ」より 著者:戸坂潤
ものを実は初めて知ったと云ってもいいが、それよりも大事なことに、私はこの時以来、
公式主義者(?)となったことである。と云うのは、それ以来私は、判り切った誰にとっ....
「神話と青春との復活」より 著者:豊島与志雄
々身辺の知性に於ても盛んに見られた。この間にあって、所謂プロレタリア文学は、その
公式主義の残骸を曝しており、所謂逃亡主義の文学は、異境に於ける自己消費に終り、所....
「哲学入門」より 著者:三木清
現実の行為にとっては形の構想が必要である。理論をそのまま行おうとするのは抽象的な
公式主義であり、真の実践家は理論の一般性と現実の特殊性とを形において構想的に統一....
「インテリの感傷」より 著者:坂口安吾
ものは、共産党の保守反動性である。彼らは現実を知ろうとせず、メクラ滅法、盲目的な
公式主義によって、徒らに、クビキリ反対、ストライキをやらかすのみ。なぜ建設に協力....
「哲学の現代的意義」より 著者:戸坂潤
られる宿命を負わされている。これはこの場合、公式についての運用を誤っている。之を
公式主義と呼ぶなら呼んでもよい。尤も之を以て、科学的批評などと思われては困るが。....
「チェーホフの短篇に就いて」より 著者:神西清
做してよいであろうか。とはいえ、彼の素直な創造精神があらゆるマナリズム、あらゆる
公式主義の敵であったことを思えば、右のような分析法を彼の作品表の全面に及ぼすこと....
「文芸評論の方法について」より 著者:戸坂潤
ける体系というものの意味もロクロク考えて見たことのない文化的擦れっ枯らし達が、「
公式主義」「
公式主義」と云う自分でも何のことかよく判っていない発音を繰り返すこと....
「所謂批評の「科学性」についての考察」より 著者:戸坂潤
や学殖というものも、批評に於ては印象からの抽象力として、一定の意義を有っている。
公式主義やペダントリーのような弊害を理由にして、公式や教師的学殖の正常な役割を、....
「日本の民衆と「日本的なるもの」」より 著者:戸坂潤
文壇と一部の評論壇では、一口で云うと「日本的なるもの」の検討が風をなしている。私がこう口を切ると、そら
公式主義者が「日本的なるもの」にケチをつけようとするものだ、と推量する周章者も少....