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「兼業〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

兼業の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一泊しなければならない。小金井橋のあたりに二、三軒の料理屋があって、それが旅籠を兼業ですから、大抵はそこに泊めてもらうことになるのですが、料理屋といっても田舎茶....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
に世を去って、そのせがれの吉次郎がやはり父のあとを継いで屋根屋とうわばみ退治とを兼業にしていたが、その手腕はむしろ先代をしのぐというので、二代目の蛇吉は大いに村....
縮図」より 著者:徳田秋声
などもあり、殷賑地帯で、芸者の数も今銀子のいる東京のこの土地と乙甲で、旅館料理屋兼業の大きい出先に、料亭も幾つかあった。 銀子の出たのは、藤本という、土地では....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
を蒙ったそうである。それらの諸先生に比べれば、従来予が官立学校教師として小説家を兼業する事が出来たのは、確に比類稀なる御上の御待遇として、難有く感銘すべきもので....
油絵新技法」より 著者:小出楢重
そこで現代の若き作家は商品見本を秋に示し、一年間は潜行して画商と、番頭と、作者を兼業しつつ多忙を極め、なるべく嫌らしく立廻って漸く生存する事が出来るだろう。 ....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
港へ着いた。この港はもっぱら金比羅詣の船が着く処で、旅人の往来も頻繁だから船問屋兼業の宿屋も数々あった。私もある宿屋に投じ、暫く休息した。これから乗る船はその頃....
田園の幻」より 著者:豊島与志雄
もある。川崎あたりの工場か酒場かに働いていた娘の花子を呼び戻してから、居酒屋をも兼業した。長男夫婦は別居して、律気に農業をやっている。 その居酒屋に、私は何度....
家なき子」より 著者:楠山正雄
たが、音楽ではずんずん先生を凌駕(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋さん兼業の音楽家エピナッソー先生の予言がなるほどとうなずかれた。 そのとき、配達夫....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
はございませんな。坊主の顔が円いほど心が円くないものだときいていたが、奴メ医者を兼業するツモリかね。山寺の坊主、医者をかね、生かしてはとり、殺してはとり。強慾坊....
三枚続」より 著者:泉鏡花
名な先生だ、歌の、そうそう。書も能くお書きになるぜ。」 「知ッてますよ、手習師匠兼業の奴なんで、媽々が西洋の音楽とやらを教えて、その婆がまた、小笠原礼法|躾方、....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
ルカムした。くぐって少し行くと露西亜風の丸太小舎の郵便局も目についた。それに運送兼業の雑貨店や、やや小綺麗な店屋が飛び飛びに二、三軒はあった。どの店にも絵葉書は....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
いるものである。桂河辺に来てエタの本をなしたという人々は、まさかに墓守と屠者とを兼業することもなかったであろうが、他の道をたどったものは、彼らの慣れた営業がもと....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
のあった事と合せ考えて、疑問を深からしめるものがないでもない。或いはそれが屠者の兼業であったと言ってしまえばそれまでだが、さる証拠のない限り、もと餌取・屠者以外....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ものであろうから、単に歴門の托鉢のみでは生活することができず、はては雑職・雑芸を兼業として、やっと衣食の途を求め、ためにサガリ者として賤しめられるに至ったのであ....
融和促進」より 著者:喜田貞吉
その薬が利きすぎて、肉食者が非常に嫌われるようになったのです。したがってその屠殺兼業の生活から、古来の風習のままに依然として肉食を嫌わなかったいわゆるエタにとっ....