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内義
「内義〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
内義の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
陶晴賢が主君大
内義隆を殺した遠因は、義隆が相良遠江守武任を寵遇したからである。相良は筑前の人間....
「次が待たれるおくりもの」より 著者:宮本百合子
あろうし更に第十巻全部が滞りなく完訳されることを切望しているのであろうと思う。山
内義雄氏はフランス文学のうつし手として、これまでも多くの意義ある業績を示しておら....
「若き精神の成長を描く文学」より 著者:宮本百合子
描き出されている。 マルタン・デュガールは、長篇「チボー家の人々」(白水社・山
内義雄氏訳)を何故第一巻の「灰色のノート」をもってはじめずにはいられなかったのだ....
「生きつつある自意識」より 著者:宮本百合子
ロジェ・マルタン・デュガールの長篇小説「チボー家の人々」は太平洋戦争がはじまる前に、その第七巻までが訳された。山
内義雄氏の翻訳で、どっさりの人に愛読されていたものであったが、ドイツのナチズムと....
「脈々として」より 著者:宮本百合子
ければならない。第七巻まで翻訳出版されたのが一九四〇年八月。兇悪な戦争が、訳者山
内義雄氏と出版社白水社の仕事を阻んだ。六年を経て、一九四六年十一月に第八巻「一九....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
ている。山名|氏清が泉州守護職となり、泉府と称して此処に拠った後、応永の頃には大
内義弘が幕府から此地を賜わった。大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方か....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
り、実隆の方でもまたこれによっていくらか家計を補ったことであったろう。永正五年大
内義興が義植将軍を奉じて入京し、四位に叙せられた時には、礼のために太刀一腰と二千....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ン・デュ・ガールという作家が十四年間かかって書いた「チボー家の人々」という小説山
内義雄訳を送って呉れます、十四冊の予定。第二冊まで。千九百十四年に到るフランスの....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
まるかと思うと、遠い九州には菊池の一族がふたたび旗をあげる。都に近い泉州堺では大
内義弘の謀叛がある。鎌倉には管領持氏の乱が起こる。赤松満祐は将軍義教を弑して、播....
「孔子」より 著者:和辻哲郎
も他山の石としてはいくらか役立つであろう。 この書において用いた『論語』は、武
内義雄氏校訂訳注の岩波文庫本である。この『論語』の本文と日本訳とは専門家の間に必....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
に著きはじめている。平家琵琶から分れて咄し家が立ち、『太平記』や『明徳記』や『大
内義弘退治記』(応永記)のような講釈軍記の台本が書かれている。大和の春日神社に奉....
「雨の宿」より 著者:岩本素白
久し振りで京都の秋を観ようと、十月十五日の朝東京駅を発つ時、偶然会った山
内義雄さんから、お宿はと聞かれて、実は志す家はあるが通知もしてないことをいうと、....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
いこと、軍勢を入れないことなどの申し合せであった。 両軍というのは、主すじの大
内義隆を殺した陶晴賢の反乱軍と、一方は、「主のとむらい合戦」をとなえて起った毛利....