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内藤
「内藤〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
内藤の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
が》の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭《ばんがしら》に陞《のぼ》っていた
内藤三左衛門《ないとうさんざえもん》の推薦で、新知《しんち》百五十|石《こく》に....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ろによると、男は代々木の多聞院門前に住む経師屋《きょうじや》のせがれ徳次郎、女は
内藤新宿甲州屋の抱え女お若で、ままならぬ恋の果ては死神《しにがみ》に誘われて、お....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ですが、やっぱり凶と出たので……」と、女は苦労ありそうに細い眉を寄せた。 女は
内藤新宿の北裏に住んでいる杵屋お登久という師匠であった。かれは半七や松吉の商売を....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
うのようじゃあどうすることも出来ません」と、亀吉も羽織を袖畳みにしながら云った。
内藤新宿の追分から角筈、淀橋を経て、堀ノ内の妙法寺を横に見ながら、二人は和田へ差....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
わって、見て来たような作り話を吹聴する者もある。一体その空屋敷というのは、以前は
内藤右之助という三百石取りの旗本が住んでいたのですが、二年ほど前から小石川の茗荷....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
れた。家康は、小笠原長忠を先陣とし、右に酒井忠次、榊原康政、左に本多平八郎忠勝、
内藤信重、大久保|忠世、自分自身は旗本を率いて正面に陣した。 本多忠勝、榊原康....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
相良は筑前の人間で義隆に仕えたが、才智人に越え、其の信任、大内譜代の老臣陶、杉、
内藤等に越えたので、陶は不快に感じて遂に義隆に反して、天文十九年義隆を殺したのだ....
「政談十二社」より 著者:泉鏡花
一 東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する
内藤新宿の町端に、近頃新開で土の色赤く、日当のいい冠木門から、目のふちほんのりと....
「河童小僧」より 著者:岡本綺堂
頃は安政の末、
内藤家(延岡藩)の江戸|邸に福島金吾という武士があった、この男、剣術柔術が得意で....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
げた卯の花は阿部家滅亡の雰囲気のなかにくっきりと花を咲かせていたが、それとは別に
内藤長十郎|殉死の事がその前段にある。そこでは、丈の高い石の頂を掘り窪めた手水鉢....
「壁の眼の怪」より 著者:江見水蔭
三面谷は越後の村上領では有るのだけれど、又米沢からの支配をも受けているので、
内藤家からも飯米を与えるが、上杉家からも毎年二十俵を、雪が積って初めて道が出来る....
「江戸の化物」より 著者:岡本綺堂
ども親しく見たということですが、麻布の龍土町(いまの港区六本木七丁目六~八番)に
内藤紀伊守の下屋敷がありました。この下屋敷というところは、多く女子供などが住んで....
「妖怪学」より 著者:井上円了
解し難き道理あるに似たるも、これ、かえってその作用の一部分なるより起こる。先年、
内藤某氏、左のごとき詩を夢中に得たりとて報知せられたり。 塵事堆中日月移 秋来....
「かたき討雑感」より 著者:岡本綺堂
かたき討のために暇を願うということは許されなかった。わたしの父の知人で、虎の門の
内藤家の屋敷にいる者が朋輩のために兄を討たれた。かたきはすぐに逐電したので、その....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
症に罹って田端に閑居静養した。三十七年の春、日露戦争が初まると間もなく三月の初め
内藤湖南の紹介で大阪朝日新聞社に入社し、東京出張員として東露及び満州に関する調査....