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「冬至〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

冬至の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
冬の蠅」より 著者:梶井基次郎
――眼からの効果――の上にも形成されていた。 私が最後に都会にいた頃――それは冬至に間もない頃であったが――私は毎日自分の窓の風景から消えてゆく日影に限りない....
冬の日」より 著者:梶井基次郎
一 季節は冬至に間もなかった。堯《たかし》の窓からは、地盤の低い家々の庭や門辺に立っている....
ゆず湯」より 著者:岡本綺堂
なかに浸っていた。表には師走《しわす》の町らしい人の足音が忙がしそうにきこえた。冬至《とうじ》の獅子舞の囃子の音も遠く響いた。ふと眼をあげて硝子窓の外をうかがう....
旧主人」より 著者:島崎藤村
やって、涙は絶間《とめど》もなく美しい御顔を流れました。 その日は珍しく暖で、冬至近いとも思われません位。これは山の上に往々《たびたび》あることで、こういう陽....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
はあいにく来客である。わたしは又もやむなしく帰った。わたしも歳末は忙がしいので、冬至《とうじ》の朝、門口《かどぐち》から歳暮の品を差し置いて来ただけで、年内は遂....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
(Eratosthenes 紀元前二七五―一九四年)はアレキサンドリアで、夏至と冬至の正午における太陽の高度を測定し、それを基にして南北回帰線間の距離が地球大円....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
で――有明は晦日に近し餅の音――こうした俳句のおもむきは到るところに残っていた。冬至の柚湯――これは今も絶えないが、そのころは物価が廉いので、風呂のなかには柚が....
」より 著者:島崎藤村
ねえ」 と言って、お雪も呆れた。夫婦は一層の艱難を覚悟しなければ成らなかった。冬至には、三吉の家でも南瓜と蕗味噌を祝うことにした。蕗の薹はお雪が裏の方へ行って....
海神別荘」より 著者:泉鏡花
まに、越ゆる我身の死出の山、死出の田長の田がりよし、野辺より先を見渡せば、過ぎし冬至の冬枯の、木の間木の間にちらちらと、ぬき身の槍の恐しや、―― 公子 (姿見を....
砂糖泥棒」より 著者:黒島伝治
風が砂を吹きこんできた。ひどい西風だった。南の鉄格子の窓に映っている弱い日かげが冬至に近いことを思わせた。彼は、正月の餅米をどうしたものか、と考えた。 「どうも....
鴛鴦鏡」より 著者:岡本綺堂
いつまでも無事にすむはずがありません。去年の暮に、冬坡のおふくろが風邪をひいて、冬至の日から廿六日頃まで一週間ほど寝込んだことがあります。そのときに染吉とお照と....
岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
物の母であって、人畜魚虫山川草木、これに産れこれに死し、王者の最も尊敬するもの、冬至の日をもって方沢に祭ると、こう書物で読みましたが」 「お前の云うことはむずか....
明治時代の湯屋」より 著者:岡本綺堂
五月の節句(四、五の両日)に菖蒲湯を焚き、夏の土用なかばには桃湯を焚き、十二月の冬至には柚湯を焚くのが江戸以来の習であったが、そのなかで桃湯は早く廃れた。暑中に....
三人の訪問者」より 著者:島崎藤村
の暗い日なぞにはよくあの巴里の冬を思出す。そこでは一年のうちの最も日の短いという冬至前後になると、朝の九時頃に漸く夜が明けて午後の三時半には既に日が暮れて了った....
春泥」より 著者:久保田万太郎
にわかれて間もなくかれは湯屋のまえに立った。 「『今日|柚湯』――そうか、今日は冬至か?」 つぶやくようにいってかれは入口の戸をあけた。 ……日の短い頂上で....