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「凌雲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

凌雲の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
坊っちゃん」より 著者:夏目漱石
恥《は》ずかしい心持ちはしない。野だのようなのは、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌雲閣《りょううんかく》へのろうが、到底寄り付けたものじゃない。おれが教頭で、赤....
野分」より 著者:夏目漱石
る。十万坪の別荘を市の東西南北に建てたから天下の学者を凹《へこ》ましたと思うのは凌雲閣《りょううんかく》を作ったから仙人《せんにん》が恐れ入ったろうと考えるよう....
Liber Studiorum」より 著者:寺田寅彦
一 震災後復興の第一歩として行なわれた浅草凌雲閣の爆破を見物に行った。工兵が数人かかって塔のねもとにコツコツ穴をうがってい....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
中になりました。その随行としては杉浦愛蔵、保科《ほしな》俊太郎、渋沢篤太夫、高松凌雲、箕作《みづくり》貞一郎、山内元三郎らをはじめ、水戸、会津、唐津等から、それ....
半日ある記」より 著者:寺田寅彦
ってオッカサンに何をはなすか。写真店の看板を見る兵隊さん。鯉に麩を投ぐる娘の子。凌雲閣上人豆のごとしと思う我を上より見下ろして蛆のごとしと嘲りし者ありしや否や。....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
いて、座方では去年の「牡丹燈籠」以上の宣伝法を案出し、一月六、七日の両日、浅草の凌雲閣、新橋の江木の塔、芝愛宕山の愛宕館の三カ所から歌舞伎座の印を捺した奴凧数百....
三枚続」より 著者:泉鏡花
らない癖に、おもしろいかい、そうかい。これは相撲の番附、こちらが名人|鑑、向うが凌雲閣、あれが観音様、瓢箪池だって。喜蔵がいつか浅草へ供をして来た時のようだ。お....
層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
つしか尽きて、ここに黒岳の一峰の上に立てり。さても大雪山の頂上の広きこと哉。南の凌雲岳、東の赤岳、北の黒岳の主峰など、ほんの少しばかり突起するだけにて、見渡す限....
草紅葉」より 著者:永井荷風
が初めてオペラ館や常盤座《ときわざ》の人たちと心易くなった時、既に震災前の公園や凌雲閣《りょううんかく》の事を知っている人は数えるほどしかいなかった。昭和の世の....
寺じまの記」より 著者:永井荷風
ひろげの工事と共に、その辺の艶《なまめか》しい家が取払われた時からであろう。当時凌雲閣の近処には依然としてそういう小家《こいえ》がなお数知れず残っていたが、震災....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
岩の高さはおよそ三丁ばかりあるという。その上に寺が建てられてあるのですから浅草の凌雲閣どころの騒ぎではない。実に高いです。その寺の名をセースム・ゴンパといって古....
西航日録」より 著者:井上円了
という。工業中、当地の特産は麻布なり。 十万人家工又商、街車如織往来忙、煙筒林立凌雲処、都是績麻製布場。 (十万の人家は工と商に従う、街車は織るように往き交って....
五重塔」より 著者:幸田露伴
はありませぬが、真実に内の親方は茶袋よりもありがたいとおもっています、いつぞやの凌雲院の仕事の時も鉄や慶を対うにしてつまらぬことから喧嘩を初め、鉄が肩先へ大怪我....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
『古今集』以後の和歌集が勅によって撰ぜられたのは、『経国集』・『文華秀麗集』・『凌雲集』などの詩集が勅によって撰ばれたのに倣ったのであるが、一度『古今集』が出て....
濹東綺譚」より 著者:永井荷風
の取締りが厳しくなり、車の通る表通から路地の内へと引込ませられた。浅草の旧地では凌雲閣《りょううんかく》の裏手から公園の北側千束町の路地に在ったものが、手を尽し....