凱旋門[語句情報] » 凱旋門

「凱旋門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

凱旋門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
オリンポスの果実」より 著者:田中英光
あなたに逢いたい、逢いたいと思っていた。そうしたら、ワイキキ・ビイチに行く途中、凱旋門《がいせんもん》のところで、あなたと内田さん達の一行に、ぱったり逢いました....
芽生」より 著者:島崎藤村
しらんと、思いやった。須田町で本郷行に乗換えた。万世《まんせい》橋のところに立つ凱旋門《がいせんもん》は光って見えたかと思うと復た闇に隠れた。 暗い時計台の下....
巴里祭」より 著者:岡本かの子
ールドの広場に電飾を浴びて水晶の花さしのように光っている噴水を眺め、首を廻らして凱旋門通りの鱗のように立ち重なる宵の人出を見ると軽い調子になって彼女は言った。 ....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
街のドストイエフスキイ像、農民の家、子供の家、バルチック停車場に近いナポレオンの凱旋門――一八一二―一四年の建造とある。 夜、カレイトヌイ座にフィヨドル・ゴラ....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
ら宮殿広場、オスマンからプラス・ドュラ・コンコルド、シャンゼリゼエから星、そこの凱旋門から森ドュ・ブウロニュの大街――とこう並べ立てると、外国人――ふらんす人以....
異国食餌抄」より 著者:岡本かの子
家の話では巴里で一年に食べられる蝸牛の数は約七千万匹で、それを積み重ねると巴里の凱旋門よりも高くなるというから大したものである。 蛙を食べ始めたのもフランス人....
若草物語」より 著者:オルコットルイーザ・メイ
を大笑いさせました。ローリイも、とっぴな計画をたて、勝手にさせておけば、花火でも凱旋門でも、こしらえかねないいきおいでした。 ただ者でないジョウとローリイは、....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
遠い昔の戦勝の交響曲のように、薄黒い金色の円《まる》屋根が浮き出していた。そして凱旋門《がいせんもん》は、勇敢なる進軍のように、帝国軍団の超人間的な大跨《おおま....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
げん》が再び現われた。皇帝親衛兵のいた所には今は赤服の近衛兵がいた。カルーゼルの凱旋門《がいせんもん》は、卑劣に得られた戦勝の名前におおわれ、それらの新流行に困....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
めたロースト・ビーフを考えついた。プラウツスの書いた鞦韆《ぶらんこ》はエトアール凱旋門《がいせんもん》の気球の下に現われている。アプレイウスが出会ったペシルの剣....
巴里のキャフェ」より 著者:岡本かの子
だ。」 並木の有料椅子のランデヴウ。無料ベンチのランデヴウ。 軽い水蒸気が、凱旋門からオベリスクの距離を実測よりやや遠く見せている。シャンゼリゼーの北側の店....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
に添っていた。 日本は健かで、正しく、美しかった。 戦争は勝利に終り、村々に凱旋門が立てられた。私たちは通学するにも幾つもの凱旋門をくぐった。 私たちの学....
豆腐買い」より 著者:岡本かの子
の人体電気。埃と髪油のにおい。――加奈子は午後四時過ぎが何故か懐かしい。巴里では凱旋門の方からシャンゼリゼーの右側の歩道を通って料理店ブーケの前を通って公園の方....
水晶の栓」より 著者:新青年編輯局
ーム、こうしておる内にも時は経つ……』 当時ルパンが平素の住宅としていたのは、凱旋門の傍のシャートーブリヤン街であった。そこにミシェル・ボーモンという変名で家....
グーセフ」より 著者:神西清
る底へ沈んで行く。 そのとき天の方では、日の沈む側に雲が叢っていた。その一つは凱旋門に似ていて、次のはライオンに、三番目のは鋏に似ている。……雲の後ろから、幅....