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初度
「初度〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
初度の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「明暗」より 著者:夏目漱石
経でも揣摩《しま》できなかった。しかも彼女はこの訪問の最初に、同じ現象から受けた
初度《しょど》の記憶をまだ忘れずにいた。吉川夫人の名前を点じた時に見たその薄赧《....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
度という大暑、それやこれやに悩まされて、ひどく弱った。 九日は帝国芸術院会員が
初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事を出しておき....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
。しかし結婚してから一年半ばかりの間、これに親近せずにいた。そして弘前へ立った。
初度の旅行の時の事である。 さて抽斎が弘前にいる間、江戸の便があるごとに、必ず....
「青年」より 著者:森鴎外
人と旅人とが語り交すような対話をしている。万人に公開しても好いような対話である。
初度の会見の折の出来事を閲して来た己が、決して予期していなかった対話である。 ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
り母馬その子の在所を見定めた上ならで身を動かす事なく子よく生《お》い立った。これ
初度の子が死んで二度めの子が生まれぬ間に記憶と想像と考慮を働かせ、前駒の死に鑑《....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
なんだのと、右から左へのみ捻じ廻した事だ。一度捻じ入れて直ちに捻じ離し、二度めは
初度より易《やす》く幾度も行うた。かくて随分巧者になったところでこれをやめて他の....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
いよいよ長防討入りという事で、幕府から軍監を差下さるるようになった。元治甲子の
初度の征伐は藩主が出陣して、領内の神ノ浦まで本陣を据えられたのであるが、毛利家が....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
東京ではその木を見掛けなかったようである。鶴見が始めてその生態に接したのは、
初度に鎌倉に移ってからのことである。 雪の下の僑居の筋向いに挿花の師匠が住んで....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
て飽きなかった大苦辛を見て衷心嘆服せずにはいられなかった。歿後遺文を整理して偶然
初度の原稿を検するに及んで、世間に発表した既成の製作と最始の書き卸しと文章の調子....
「はなしの話」より 著者:岡本綺堂
度という大暑、それやこれやに悩まされて、ひどく弱った。 九日は帝国芸術院会員が
初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事を出しておき....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
誇るが為では無かった。九州の戦闘に於て、最後の大勝利は幸いに我に帰したけれども、
初度の戦闘は屡々我に不利益であった。敵の※を作らせようと企てた。 斯時代に於て....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
もその反対者があり、特に後白河法皇がそれを御許容にならなかったので、法皇崩御後の
初度の朝政において、始めてその目的を達することが出来た事情を詳述したのであった。....
「咸臨丸その他」より 著者:服部之総
ったと記している。船名は不明。(前文「汽船が太平洋を横断するまで」のなかで挙げた
初度日米連絡就航船隊としての「チャイナ、ジャパン、アメリカ」などの船名は、リンゼ....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
れ、安政条約が「帝国大日本|大君《タイクン》」としての将軍との間に締結されたとき
初度の英公使パークスによって「虚器を擁せる一個世伝の君主すなわち禁裡あり、この主....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
題を賜わり、時の歌人が百首歌を詠んで奉った。成ったのは一つとんで次の久安年間で、
初度のは残っていない。二度目のは久安六年の御百首で、院のほか作者は十四人である。....