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「加増〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

加増の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
夫が、したたか兵衛の小手を打った。綱利は甚太夫を賞するために、五十|石《こく》の加増を命じた。兵衛は蚯蚓腫《みみずばれ》になった腕を撫《な》でながら、悄々《すご....
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
は》打枯《うちから》した庄左衞門に、四十金恵んで下さるは、屋敷に居りました時千石加増したより忝けのうござるがナ、手前強情我慢で、これまでは涙一滴|溢《こぼ》さん....
恩を返す話」より 著者:菊池寛
じょうし》の日に、従軍の将士は忠利侯から御盃を頂戴した。甚兵衛も惣八郎も、百石の加増を賜った。その日、殿中の廊下で甚兵衛は惣八郎に会った。惣八郎は晴々しい笑顔を....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
と注進に及ぶと、忠直卿は相好を崩されながら、 「新兵衛の武功第一じゃ――五千石の加増じゃと早々伝えよ」と、勇み立とうとする乗馬を、乗り静めながら狂気のごとくに叫....
街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
々まで暮さなければならなかった。三百年近く太平の世が続いたために、彼等の大部分は加増を受ける機会もなく、只夢のように生れては死んだ。只恐るるのは家族の殖えること....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
りました。權六は至急お呼出しになって百日の遠慮は免りて、其の上お役が一つ進んで御加増となる。遠山權六は君恩の辱ないことを寝ても覚めても忘れやらず、それから毎夜ぐ....
三人の相馬大作」より 著者:直木三十五
いながら、出て行ってしまった。 二十 「羨ましいな、右源太。当節、百石の加増など、一生かかっても、有りつけんぞ」 玄関際の、詰所――小さい庭から、差込....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
、好い奴だ、汝は此の乃公《おれ》に能《よ》う勝ったぞ、と褒美して、其の翌日知行米加増を出したという。此|談《はなし》の最初一度負けたところで、褒詞を左馬允に与え....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ことであろうと思われる。 ところが、元禄五年に至って、玉置市正なるものが千石の加増を賜わって、知行《ちぎょう》二千石となるや、その翌年正月、光友から市正に小姓....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
ざいましょうとも。殿のお父上右近将監様は、御老中におわすこと三十八年、その間にご加増をお受け遊ばしたこと、わずか六千石でございました。いかにご忠正でご謙謹で、お....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
はたして翌日若年寄から紋太郎へ宛てて差紙が来た。恐る恐る出頭すると特に百石のご加増があり尚その上に役付けられた。西丸詰め御書院番、役高三百俵というのである。 ....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
な。――四面高くして中央|平坦、ここに家宅を構えるものは、富貴延命六|畜田|蚕、加増されて名誉の達人起こり、君には忠、親には孝、他に類少なき上相となす――家相に....
南国太平記」より 著者:直木三十五
所を失ったことが、淋しくもあったし、情なくもあった。 (大殿、斉興公から、多少の加増があるくらいで、己の命をちぢめてまで、この呪法を拡めようとはしたくない。仮に....
悪因縁の怨」より 著者:江見水蔭
木更津沖まで追詰めて、竜神松五郎に自滅をおさせなさったので、それが為に五百石の御加増まで頂いていらッしゃるので、お玉の父の敵は琴之丞様の御父上、敵同士の悪縁だか....
にらみ鯛 」より 著者:佐藤垢石
は九千両に節約して、宮中の費用を縮めるのを手柄とした。そして、この功により食祿の加増や、栄転を目的にしたのであった。 そうでない奴は、買物の中からカスリを取ろ....