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「加藤武〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

加藤武の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
羅生門の後に」より 著者:芥川竜之介
が、この中へ入れた「羅生門」である。その発表後間もなく、自分は人伝《ひとづて》に加藤武雄君が、自分の小説を読んだと云《い》う事を聞いた。断って置くが、読んだと云....
骨を削りつつ歩む」より 著者:佐左木俊郎
でも起きているので、翌朝六時に家を出かけるのは随分辛かった。 秋になって私は、加藤武雄氏の鞭捷によって一入《ひとしお》の努力を続けた。そして工事場では詩を作る....
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
、新聞小説と称しているが、この区別は甚だ曖昧なのである。 例えば、中村武羅夫、加藤武雄は、通俗小説家であるが、国枝史郎が現代物を書いても、彼は大衆作家であり、....
新版 放浪記」より 著者:林芙美子
。ほんとうに素直な人だ。 (六月×日) 久し振りに東京へ出て行った。新潮社で加藤武雄さんに会う。文章|倶楽部《クラブ》の詩の稿料を六円戴く。いつも目をつぶっ....
簡略自伝」より 著者:佐左木俊郎
筋肉労働者の群に投じて約一カ年を送る。筋肉労働中、「文章倶楽部」への投書に依って加藤武雄氏を知り、拾われて訪問記者となり、大正十四年の秋頃から「文章倶楽部」の編....
昭和の十四年間」より 著者:宮本百合子
、反プロレタリア文学の鮮明な幟色の下に立った。同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
かけとして、十三人倶楽部による「新興芸術派」が組織された。中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿....
社会時評」より 著者:戸坂潤
う。 新聞で見ると(読売六月二十五日付)、成城へ子弟を入学させている武者小路や加藤武雄、北原白秋の諸文士(いずれもあまり進歩的な顔振れではないことを注意すべき....
上海の渋面」より 著者:豊島与志雄
かったのである。 茲に私事をつけ加えれば、私達三人というのは、上海行を共にした加藤武雄君と谷川徹三君と筆者とのことである。谷川君は各種の調査や骨董あさりに疲れ....
短命長命」より 著者:黒島伝治
の連山へ見晴しがきいて、又ちがった趣がある。 私は詩碑の背面に刻みこまれている加藤武雄氏の碑文を見直した。それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読....
農民文学の問題」より 著者:黒島伝治
る無関心を意味する。 大正十三年か十四年頃であったと思う。吉江喬松、中村星湖、加藤武雄、犬田|卯等がそれまでの都市文学に反抗していわゆる農民文学を標ぼうした農....
昭和四年の文壇の概観」より 著者:平林初之輔
ない。依然として菊池寛であり、三上|於莵吉《おときち》であり、中村武羅夫であり、加藤武雄である。だが、これらの第一線の作家が、従来主として、新聞と婦人雑誌とによ....