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勢州
「勢州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
勢州の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ご三家。それからおなじみの大器量人|松平伊豆守《まつだいらいずのかみ》、つづいて
勢州松平《せいしゅうまつだいら》、隠岐《おき》松平、出雲《いずも》松平などの十八....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
とし居る。また一伝に、露という硯《すずり》も将来したが竹生島へ納むとあり、太刀は
勢州赤堀の家にあり、避来矢《ひらいし》の鎧は下野国《しもつけのくに》佐野の家にあ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
会』島嶼《とうしょ》の図を見ると阿婆良気島に果して少々木を画き生やし居る。お富は
勢州山田の産故その言|拠《よりどこ》ろありと惟わる。婦女不毛の事など長々書き立つ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
でさと》の末孫《ばっそん》と云われ、江州《ごうしゅう》日野の城主から起って、今は
勢州松坂に一方の将軍星として光を放って居た蒲生忠三郎氏郷であった。 氏郷が会津....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
し。 中 実生二葉は土塊を抽く 我今まで恋と云う事|為たる覚なし。
勢州四日市にて見たる美人三日|眼前にちらつきたるが其は額に黒痣ありてその位置に白....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
道は黒血川と関の藤川とが合するところ、金吾中納言の松尾山を、はや後ろにして、
勢州街道を左にし、養老の山々を行手にし、胆吹がようやく面を現わそうとしているとこ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
うてまた浪速《なにわ》へと志し、安治川《あじかわ》を上って京の伏見より江州を経て
勢州に至り、尾張、三河、遠江《とおとうみ》、そこの狩宿に十王堂を建て、十王尊と奪....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
もいった通り伊勢参宮をしたいのであるから、太田の駅から船に乗って木曾川を下って、
勢州まで行くことにした。船が少しこの駅を離れた頃から、川の水勢は俄に急となり左右....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
の軒行燈に白い手が灯を入れれば……訛《なま》りにも趣《おもむき》ある客引きの声。
勢州《せいしゅう》山田、尾上《おのえ》町といえば目ぬきの大通りである。
弱々し....
「怪しの者」より 著者:国枝史郎
がご親切だからでございましょうが、下女下男までが親切で、わたしの顔を見ますると「
勢州が見えたから何かやりな」と、面桶の中へ、焚きたてのご飯などを、お入れ下さるの....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
ブクロ(若州)○メツブシ○キツネノチャブクロ(和州)○チトメ○キツネノヒキチャ(
勢州)○キツネビ(南部)○キツネノハイダハラ(越前)○カザブクロ(奥州)○ホウホ....
「数学史の研究に就きて」より 著者:三上義夫
総長に就任したので、自ら研究をこととすべき余暇を得られないこととなった。遠藤翁は
勢州桑名の江戸詰藩士であって、和算家の出身であるが、洋算に対して和算の萎微振るわ....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
喜《よしのぶ》の将軍職立候補と時を同じうしてなされた。ペリー来当時の当首相|阿部
勢州《あべせいしゅう》は「攘夷」と継嗣問題を交換することのできた協調政治家だった....
「食道楽」より 著者:村井弦斎
いて焦がさないように炊かないといけません。 第十四 紫蘇《しそ》飯 と申すのは
勢州《せいしゅう》岩内《いわうち》の名物ですが大層味の良いもので先ず青紫蘇を塩水....