勤王[語句情報] »
勤王
「勤王〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
勤王の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
にいる人にはお話しするほどのことはない、みなご存じであります。また山陽という人は
勤王論を作った人であります。先生はドウしても日本を復活するには日本をして一団体に....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
そこが詮議ものだ」 「ごもっともでございます」 半七もうなずいた。今の時節――
勤王討幕の議論が沸騰している今の時節では、仮りにも京都の公家にゆかりがあるという....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
大坂から高松へ逃げ帰った。 一藩は、朝敵という名に脅えている時だった。四国で、
勤王の魁首である土佐藩は、早くも朝敵追討の軍を起して、伊予に入り、同じく
勤王の宇....
「乱世」より 著者:菊池寛
ただ快を一時に遣る方法であることは、誰にもわかっていた。隣藩の亀山も、津の藤堂も
勤王である。官軍を前にしては、背後にしなければならぬ尾州藩は、藩主同士こそ兄弟で....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
したのでそのままになった。結局王子|臨海君をして咸鏡道に、順和君を江原道に遣して
勤王の軍を募らしめ、王李昭、世子|光海君以下王妃|宮嬪数十人、李山海、柳成竜等百....
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
の長軍、伊知地正治、野津七左衛門の率いた薩軍が主力で、それに屋張、越前、芸州等、
勤王諸藩の兵が加わって一万足らずであったであろう。 幕軍は、伏見鳥羽の両道より....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
あり、中将はその会長である。自分もその会員である)の先祖たる菊池氏も亦、五百年間
勤王|一途の忠勤をつくした家柄で、山陽をして「翠楠必ずしも黄花に勝らず」と云わし....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
かれども今日より仔細にその事実を観察するときは、甲種の論派に入るもの豈に必ずしも
勤王愛国の士のみならんや、あるいはふたたび元亀天正の機会を造り、大は覇業を企て小....
「犬神娘」より 著者:国枝史郎
されました際にも、私はお附き添いしておりました。(と、洛東清水寺|成就院の住職、
勤王僧|月照の忠実の使僕、大槻重助は物語った)さて裏門から出て見ますると、その門....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
しかるにここに困ったことには味方する者が現われた。 当時諏訪藩は佐幕党として、
勤王派に睨まれていた。で安政年間には有名な水戸の天狗党が、諏訪の地を蹂躪した。又....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
ある。徹底したる佐幕思想――ということがそれである。したがって美作は同じ程度に、
勤王思想を嫌忌した。で、有名な宝暦事件、すなわち竹内式部なる処士が、徳大寺卿をは....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
石也。親朝も、もとは南朝の忠臣なりき。其父宗広は建武中興に与つて大いに功ありて、
勤王に始終したりき。親朝父と共に王事につくしたり。宗広死するに臨みて、必ず賊を滅....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
準とするに足らざるなり。 そもそも幕末の時に当りて上方の辺に出没したるいわゆる
勤王有志家の挙動を見れば、家を焼くものあり人を殺すものあり、或は足利三代の木像の....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
がかえって意気投合したらしい。が、君平や崋山としばしば音信した一事からして馬琴に
勤王の志があったと推断するのは馬琴贔屓が箔をつけようための牽強説である。ツイこの....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
人を入れた牢屋がまだ残っていた。三宅島の流罪人名士をあげると竹内式部、山県大弐の
勤王学者、絵師英一蝶、「絵島生島」の生島新五郎、侠客小金井小次郎など多士多彩だ。....