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「北野〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

北野の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
土曜夫人」より 著者:織田作之助
い――と、気がついた。 吹田を過ぎ、東淀川の駅を過ぎると、やがて南側の車窓に、北野劇場のネオンサインが見え、大阪はもう夜であった。大阪駅前の広場に、闇の娘たち....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
《やなぎちょう》の遊女屋ばかりで、その他の祇園《ぎおん》、西石垣、縄手、五条坂、北野のたぐいは、すべて無免許の隠し売女《ばいじょ》であった。それらが次第に繁昌し....
世相」より 著者:織田作之助
出来て、それが今まで続いているし、その後京都の宮川町でダンス芸者をしていた頃は、北野の博奕打の親分を旦那に持ったことがあり、またその時分抱主や遣手《やりて》への....
日本文化私観」より 著者:坂口安吾
市街ときては、何処を歩いても迷う心配のない街だから、伏見から歩きはじめて、夕方、北野の天神様にぶつかって慌てたことがあった。だが、僕が街へでる時は、歓楽をもとめ....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
のそちの根気は天晴のものじゃ。三百石の加増、書院番頭と致す」 小石川区大和町の北野神社の境内の石の階段を上り切った左に、東向きに立てられた小さな祠が、地震前ま....
南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
捕り、検断所の役人へ渡してやろう」 そこで後を追っかけた。 町を出外ずれると北野になる。大将軍から小北山、それから平野、衣笠山、その衣笠山まで来た時には、と....
名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
、京都の新京極、それに匹敵するのが名古屋の大須である。そこには金竜山浅草寺ならぬ北野山真福寺があつて、俗にこれを梅ぼしの観音といふ。梅ぼしとは、『おゝ酸!』(大....
五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
は大恭悦で、ポンと額まで叩いたものである。 「いかさま近来のご趣向で」 「場所は北野、百座の茶ノ湯」 「さすがは殿下、大がかりのことで」 合槌は打ったが徳善院....
昔のことなど」より 著者:上村松園
たが、栖鳳先生や芳文・香※というような人達は、狩野流や土佐や雪舟や又は伴大納言・北野縁起・鳥羽僧正といったような絵巻など、盛んに古画研究をやっていられました。そ....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
の水を渡る朝風が誘ったので、霜が靡いたように見えた、精進腹、清浄なものでしょう。北野のお宮。壬生の地蔵。尊かったり、寂しかったり。途中は新地の赤い格子、青い暖簾....
冷かされた桃割娘」より 著者:上村松園
あるとか聞いては写しに行ったものでした。 八坂さんの絵馬堂にもよく行きました。北野の楊貴妃の図などは今もはっきり覚えています。当時はまだ絵具の色も十分残ってい....
栖鳳先生を憶う」より 著者:上村松園
しました。一心になってな……。絵も写生や粉本ばかりでなく、古い絵の研究も怠らず、北野縁起絵巻なども先生につれられて写しに参りました。明治二十八、九年頃には歴史画....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
々が麦酒をかたむけつつ行くのである。) 露国郊行(露国の郊野を行く) 麦田欧北野、木壁露人家、五月春猶浅、寒林未花。 (麦畑のひろがる欧北の野に、木の壁をも....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
り、宗祇は連歌界の第一人者となって、長享二年(六十八歳)花の本の宗匠を允許され、北野神社連歌会所の奉行となった。その後連歌集の編纂を発心し、常縁の世を去った翌明....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
も躊躇する事なく蹂躙するものであった。私がドイツ留学中少し欧州戦史の研究を志し、北野中将(当時大尉)と共同して戦史課のオットー中佐の講義を聴くことにした。同中佐....