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「十代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

十代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
おしの」より 著者:芥川竜之介
るかたびら》に何か黒い帯をしめた、武家《ぶけ》の女房らしい女である。これはまだ三十代であろう。が、ちょいと見たところは年よりはずっとふけて見える。第一妙に顔色が....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
には有効である。が、恋愛を調節することには有効ではない。 又 彼は二十代に結婚した後、一度も恋愛関係に陥らなかった。何と言う俗悪さ加減! 多....
或る女」より 著者:有島武郎
覚ゆるにつけ、暑くて苦しい頭痛に悩まされるにつけ、何一つからだに申し分のなかった十代の昔を思い忍んだ。晴雨寒暑というようなものがこれほど気分に影響するものとは思....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
た。 遺 書 一、事態茲ニ至ル 大御心ヲ拝察シ恐懼言葉ヲ識ラズ 一、佐野家第十代昌一ヲ始メ妻英、長男晴彦、二男暢彦、三男昌彦、二女陽子ノ六名、恐レ乍大君ニ殉....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
はむかしの姿をとどめないほどに衰えてしまった。たとい東京に生まれたといっても、二十代はもちろん、三十代の人では、ほんとうの祭礼らしいものを見た者はあるまい。それ....
白金之絵図」より 著者:泉鏡花
くも、から脛を踏んでとぼつきます……と申すが、早や三十年近う過ぎました、老人が四十代、ただ一度、芝の舞台で、この釣狐の一役を、その時は家元、先代の名人がアドの猟....
かの女の朝」より 著者:岡本かの子
小言であろうと、ねだりであろうと、(だが、甘えの時は無かった。息子は二十三歳で、十代の時自分を生んだ母の、まして小児性を心得て居て、甘えるどころではなくて、母の....
ドーヴィル物語」より 著者:岡本かの子
るフランスの名女優セシル・ソレルだ。六十に近い小皺を品格と雄弁で目立たなくし、三十代の夫と不釣合には見え無い。服装は今の身分伯爵夫人に相応しい第二帝政時代風のロ....
健康と仕事」より 著者:上村松園
は通りませんよ。三十歳には三十歳に応じた無理でなければ通りません。六十歳の人が二十代の人の無理をしようとしてもそれは無理というものですよ」 と戒められた。私は....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
、次は本多政武、次は榊原政邦、次は松平明矩という順序で約百四十年のあいだに城主が十代も代っている。平均すると一代わずかに十四年ということになるわけで、こんなに城....
山吹」より 著者:泉鏡花
美しく拝まれました。はい、この疼痛のござりますうちだけは、骨も筋も柔かに、血も二十代に若返って、楽しく、嬉しく、日を送るでござりましょう。 画家 (且つ傾き、且....
妖怪学」より 著者:井上円了
るか、一傾を十年とし、乙某かまたは丙某が方へ御傾き下され」というとき、目的の人三十代なれば三傾し、五十代なれば五傾すべし。端数を問うにこれと同じく、ただ一年を一....
妖怪玄談」より 著者:井上円了
なるか、一傾を十年とし、乙某または丙某が方へ御傾き下され」というとき、目的の人三十代なれば三傾し、五十代なれば五傾すべし。端数を問うに、これと同じくただ一年を一....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
後継者と認められたのは当然であった。果してその後の彼はメキメキと昇進した。まだ二十代の青年俳優が団十郎、菊五郎、左団次らの諸名優を相手にして、事実上の立おやまに....
古事記」より 著者:太安万侶
ました。御陵は片岡の石坏《いわつき》の岡の上にあります。 仁賢天皇 ――以下十代は、物語の部分が無く、もつぱら帝紀によつている。―― ヲケの王の兄のオ....