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半農
「半農〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
半農の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鰊漁場」より 著者:島木健作
あんのか?」 と訊いた。源吉は、ある、と答えた。それは嘘だった。渡道前、秋田の
半農半漁の家に少年時代を過した彼は、浜の仕事はなんだっておんなじこととたかをくく....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
主人が外出する時には大小を差し、その屋敷には武具や馬具なども飾ってあるという半士
半農の生活を営んでいて、男の雇人ばかりでも三四十人も使って、大きい屋敷のまわりに....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
った道を登れば神奈川台の一角に出られる。目にある横浜もさびしかった。あるところは
半農半漁の村民を移住させた町であり、あるところは運上所(税関)を中心に掘立小屋の....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
華を予想させる位置にはあったが、いかに言っても開いたばかりの海浜だ。あるところは
半農半漁の漁村に続くオランダ領事館の敷地であり、あるところは率先して工事に取りか....
「嵐」より 著者:島崎藤村
出して、私はそれまで言い出さずにいた田舎行きの話を次郎の前に持ち出してみた。 「
半農半画家の生活もおもしろいじゃないか。」と、私は言った。「午前は自分の画をかい....
「読書法」より 著者:戸坂潤
にあるのではなくて、その裏にあるのである。氏は云っている、「工村と迄行かずとも、
半農半工の村を造ると云うことは、農村の余剰労力を賃金化しようと云う考えから出る。....
「神秘昆虫館」より 著者:国枝史郎
の俺を行かせないのだろう?」 立ち止まって四辺《あたり》を見廻わした。冬ざれた
半農半漁の村が、一筋寂しく横仆《よこた》わっている。それを越すと耕地である。耕地....
「小春の狐」より 著者:泉鏡花
の根笹に小流が走る。一方は、日当の背戸を横手に取って、次第|疎に藁屋がある、中に
半農――この潟に漁って活計とするものは、三百人を越すと聞くから、あるいは半漁師―....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
向坂氏は山田氏の『分析』は、まず第一に発展がないという。「半封建的土地所有=
半農奴制的零細農耕」という山田氏の日本資本主義の基柢が明治三十年乃至四十年を画し....
「鷲」より 著者:田中貢太郎
土佐の海岸にあった私の村には、もうその比洋行するような人もあって、自由主義の文化はあったが未だ日清戦役前の
半農半漁の海村のことであるから、村の人の多くの心を支配したものは原始的な迷信であ....
「銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
、まぎらそうというのが真相であった。途中で悠々一泊し、その翌日三崎へ着いた。半漁
半農の三崎の宿は、人情も厚ければ風景もよかった。小松屋というのへ宿まることにした....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
ひいたりしたでは、こいつどうも色消しだな」 「そいつはどうも仕方がねえ。この辺は
半農半漁だからな。よっぽどいい所の娘っ子でも、漁にも出れば作もするよ」 「それは....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
」と称していた。三十軒ほどの人家があり、女や子供や老人などを入れ、百五十人ほどの
半農半香具師が、一致団結して住んでいた。 郷に一朝事が起こり、合図の竹法螺がボ....
「自伝」より 著者:黒島伝治
明治三十一年十二月十二日、香川県小豆郡苗羽村に生れた。父を兼吉、母をキクという。今なお健在している。家は、
半農半漁で生活をたてゝいた。祖父は、江戸通いの船乗りであった。幼時、主として祖母....
「切支丹転び」より 著者:田中貢太郎
て、次第に主人の前が不首尾になったので、その秋|生国の遠州浜松在に隠遁して、半士
半農の生活を送ることとなったが、その翌年の正月になって主家は改易になってしまった....