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南朝
「南朝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
南朝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
という表意文字が造られたのである。これは明らかに、古い「※」の字の俗字であろう。
南朝の詩人は「液体硬玉の泡沫」を熱烈に崇拝した跡が見えている。また帝王は、高官の....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
戦乱の末期 此の戦乱の後期で注目す可きは賊軍の悪名を受けた西軍が
南朝の後裔を戴いたことである。日尊と称する方で、紀伊に兵を挙げられた。『大乗院寺....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
から迷わないのだ。最初から、功利的忠義ではないのだ。尚、宋学は当時後醍醐天皇初め
南朝公家の間に盛に行われて居たから、正成は天皇と同系統の学問をして居たことになる....
「光の中に」より 著者:金史良
となって私に質ねたものである。 「君は朝鮮のどこだい?」 「北朝鮮だ」 「おらは
南朝鮮で生れたぜ」彼はずるそうに私の気色を覗うのだった。そしてひーんと打ち消すよ....
「玄海灘密航」より 著者:金史良
荒潮の渦巻く玄海灘を中心にして、
南朝鮮、済州、対馬、北九州等の間には、昔から伝説にもあるように住民の漂流がしばし....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
だ百人あまりの枯れた髑髏がそこらに散乱しているのみであった。 山※ 宋(
南朝)の元嘉年間のはじめである。富陽の人、王という男が蟹を捕るために、河のなかへ....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
ら初めて檀の浦の最後までが二十七年、頼政の旗上げから数えるとたった六七年である。
南朝五十七年も其前後の準備や終結を除いた正味は二十五年ぐらいなものであろう。世界....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
もが附き随い、殆んど連日戦闘のない日とてもない有様でした……。私の父は旗色の悪い
南朝方のもので、従って私どもは生前に随分数々の苦労辛酸を嘗めました……。』 問『....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
ろう。そういう境地に韜晦して、白眼を以て世間を見下すという態度には出でなかった。
南朝の詩でも朗吟すれば維新の志士のおもかげすらあった。それが『蒲団』を書いた花袋....
「弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
小脇にかい込んでいた。 この一党は何物なのであろう? いわば野武士と浪人者と、
南朝の遺臣の団体なのであった。応仁の大乱はじまって以来、近畿地方は云う迄もなく、....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
年親房が結城親朝に与へたる手紙をひとまとめにしたるもの也。親房は言ふまでもなく、
南朝の柱石也。親朝も、もとは
南朝の忠臣なりき。其父宗広は建武中興に与つて大いに功....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
くした上※ふうの若い女が草ぶかい庵の前にたたずんで、低い優しい声で案内を求めた。
南朝の暦応三年も秋ふけて、女の笠の褄をすべる夕日のうすい影が、かれの長い袂にまつ....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
、我が国では応神天皇の御代、支那では東晋の末であった、爾来、宋・斉・梁等の、所謂
南朝の諸国と交通を重ねたが、その後国交中断すること百余年。隋起って南北両朝の諸国....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
『南山皇胤譜』の如きもの、近くは八代国治博士『長慶天皇御在位の研究』中村直勝氏『
南朝の研究』など、しかし歌については川田順氏の労作『
南朝の悲歌』正続篇『宗良親王....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
繰り返されている。先年贈位の恩典に浴したがために、子孫が所々に現れて悶着している
南朝の忠臣開住西阿の如きも、戒重城にいた国民であった。その中においていわゆる万歳....