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南船北馬
「南船北馬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
南船北馬の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「山羊髯編輯長」より 著者:夢野久作
左右に、歪んだ椅子がタッタ二つ置いてある。右手の新聞|原紙で貼り詰めた壁の上に「
南船北馬……朴泳孝」と書いた大額が煤け返っている。それに向い合に明治十二年発行の....
「紀行文家の群れ」より 著者:小島烏水
して、花袋の碑は、そこに建てらるべきではなかろうか。 花袋の紀行文集の中では『
南船北馬』(明治三十二年九月版)が最もすぐれている。「多摩の上流」や「日光山の奥....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ニア》』六章)。旧世界でも馬を重んずる諸民が馬を殺し馬具とともに従葬した例多く、
南船北馬の譬えのとおり、蒙古人など沍寒《ごかん》烈風断えざる冬中騎して三千マイル....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
、五十近くになってから東京にまい戻って、尓来十年間、社会教育方面の仕事のために、
南船北馬している私である。その私が、今更小説に野心を持ち出したとしたら、なるほど....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
帰朝以来、これら白面の観察を収集して、梓に上さんと欲せしこと、一日に非ざりしも、
南船北馬暖席に暇なく、かつ二雪霜の間に集積せるところは、尨然紛雑し容易に整頓すべ....
「雨夜続志」より 著者:田中貢太郎
たり、樺太へ往ったり、南清で植民会社を創立したり、その当時の不遇政客の轍を踏んで
南船北馬席暖まる遑なしと云う有様であったが、そのうちにばったり消息が無くなって、....
「三国志」より 著者:吉川英治
江し、きょうは秣陵に下り、明ければまた、※県へ兵をすすめて行く孫策は、文字どおり
南船北馬の連戦であった。 「小城だが、北方は一帯の沼地だし、後ろは山を負っている....