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「南蛮〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

南蛮の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
報恩記」より 著者:芥川竜之介
どなど」を救った虚無僧《こむそう》、堺《さかい》の妙国寺《みょうこくじ》門前に、南蛮《なんばん》の薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚....
神神の微笑」より 著者:芥川竜之介
ntino はたった一人、長いアビト(法衣《ほうえ》)の裾《すそ》を引きながら、南蛮寺《なんばんじ》の庭を歩いていた。 庭には松や檜《ひのき》の間《あいだ》に....
松江印象記」より 著者:芥川竜之介
城の天主閣であった。天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物であるが、自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほ....
おしの」より 著者:芥川竜之介
ここは南蛮寺《なんばんじ》の堂内である。ふだんならばまだ硝子画《ガラスえ》の窓に日の光....
るしへる」より 著者:芥川竜之介
》六年、加賀の禅僧|巴※※《はびあん》なるものの著した書物である。巴※※は当初|南蛮寺《なんばんじ》に住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、|DS 如....
俊寛」より 著者:芥川竜之介
、あるいはまた一千年か、とにかくその好みの変る時には、この島の土人の女どころか、南蛮北狄《なんばんほくてき》の女のように、凄《すさ》まじい顔がはやるかも知れぬ。....
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
家や旅行者とは、自《おのずか》ら容子《ようす》がちがっている。「天竺《てんじく》南蛮の今昔《こんじゃく》を、掌《たなごころ》にても指《ゆびさ》すように」指《さ》....
灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
派の僧侶が本国に寄せた天文十八年(エズイット派が初めて渡来した年)から元亀二年(南蛮寺創設後三年)までの通信八十八通を集めたもので、一五七五年即ち天正三年アルカ....
くろがね天狗」より 著者:海野十三
たが、ガーンという音と共に、太刀持つ拙者の手がピーンと痺れて厶る。黒装束の下に、南蛮鉄の一枚|肋の鎧を着込んでいたようで厶る。御師範といえども、所詮あれでは切れ....
唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
ことづてですがな。せつかく御酒を一つと申されたものを、やけな御辞退で、何だかね、南蛮秘法の痲痺薬……あの、それ、何とか伝三熊の膏薬とか言う三題|噺を逆に行ったよ....
星女郎」より 著者:泉鏡花
て、右の婦人が登山されたものと見えますな――但しどうやら、貴辺がその鮨を召ると、南蛮秘法の痺薬で、たちまち前後不覚、といったような気がしてなりません。早く伺いた....
スリーピー・ホローの伝説」より 著者:アーヴィングワシントン
人の霊魂がいつも好んであらわれたようである。それは丘の上に建っており、まわりには南蛮さいかちやエルムが高々としげっていた。その木立のあいだから教会の瀟洒な白壁が....
式部小路」より 著者:泉鏡花
ず、だぶだぶになった茶色の中折、至極大ものを膝の上。両手を鍔の下へ、重々しゅう、南蛮鉄、五枚|錣の鉢兜を脱いで、陣中に憩った形でござったが、さてその耳の敏い事。....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
を見掛けない。が、昔は江戸の名物の一つとして頗る賞翫されたものだ。 軽焼は本と南蛮渡りらしい。通称|丸山軽焼と呼んでるのは初めは長崎の丸山の名物であったのが後....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
夜の涼を酌みとるのである。) 二、呂宋行 夜来雷雨過、卜、群巒時隠見、知是悉南蛮。 (二、呂宋行 昨夜からの雷雨がとおりすぎ、晴天をえらんで海峡を船出した....