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卜部
「卜部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
卜部の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
参考太平記」には、「七月七日の酉の刻に地震有りて、富士の絶頂崩ること数百丈なり、
卜部宿禰大亀を焼いて卜ひ、陰陽博士占文を開いて見るに、国王位を易へ、大臣災に遇ふ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
は気付かなんだものか。 永禄二年公家藤原某作てふ『塵塚《ちりづか》物語』巻三に
卜部兼倶《うらべかねとも》説として、大黒というはもと大国主《おおくにぬし》の命《....
「水の女」より 著者:折口信夫
過ぎていた。祝詞の効果を拡張し過ぎて、空文を唱えた傾きが多い。一方また、神祇官の
卜部を媒にして、陰陽道は、知らず悟らぬうちに、古式を飜案して行っていた。出雲国造....
「金太郎」より 著者:楠山正雄
乗って、頼光の家来になりました。そして大きくなると、えらいお侍になって、渡辺綱、
卜部季武、碓井貞光といっしょに、頼光の四|天王と呼ばれるようになりました。....
「大江山」より 著者:楠山正雄
一 むかし源頼光という大将がありました。その家来に渡辺綱、
卜部季武、碓井貞光、坂田公時という四|人の強い武士がいました。これが名高い、「頼....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
、いずれも古本にハセツカベと訓ましてあるのである。この訓は由来久しいもので、既に
卜部兼方の釈日本紀にもそうあるのを以て見れば、おそらく平安朝の博士達の私記によっ....
「屍体と民俗」より 著者:中山太郎
山《しゅうざん》村の八幡宮の縁起に、康平年中に源義家が反臣安倍貞任を誅し、屍体を
卜部《ウラベ》の勘文《かんもん》により四つに斬って四ヶ所に埋めたが、それでも祟る....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
されもなされまい」 「兼好さまとな」 「いや、まったくは、治部ノ少輔兼顕の三男、
卜部兼好でおざるよ。……俗の名を取ってそのまま、今は兼好法師と呼ばれておるが」 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
とに――そのとき彼のそばをすれちがった半蓑に旅笠の男が、ふと、 「おや、吉田山の
卜部兼好さまは、あなた様でいらっしゃいますか」 と、小戻りに腰をかがめて来た。....