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即心
「即心〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
即心の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「善の研究」より 著者:西田幾多郎
より起るのである。直接経験の事実においては主客の対立なく、精神物体の区別なく、物
即心、心即物、ただ一箇の現実あるのみである。ただかくの如き実在の体系の衝突即ち一....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
畜生という事じゃ、それ故に大梅和尚が馬祖大師に問うて如何なるか是れ仏、馬祖答えて
即心即仏という、大梅が其の言下に大悟したという、其の時に悟ったじゃ、此の世は実に....
「絶対矛盾的自己同一」より 著者:西田幾多郎
らない。倫理的実体としての国家と宗教は矛盾するものではない。 東洋的無の宗教は
即心是仏と説く。それは唯心論でもなく神秘主義でもない。論理的には、多と一との矛盾....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
ある。純粋経験の事実においては主客の対立なく、精神と物体との区別なく、心即物、物
即心、只一個の現実あるのみである。かく孰れかの一方に偏せるものは抽象的概念であつ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
年の版本、樗山子《ちょざんし》というものの著述に「天狗芸術論」がある。これは剣法
即心法を説けるもので、なかなか傾聴すべき議論がある。芸術の文字が流行語となりはじ....
「雪の宿り」より 著者:神西清
る大往生ぶりを披露した。示寂の前夜、侍僧に紙を求めて、筆を持ち添えさせながら、「
即心即仏、非心非仏、不渉一途、阿弥陀仏」と大書したと云うのである。玄浴主は、いか....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
からない。 やがて、武蔵はいった。 「十悪五逆の徒にも、仏の道では救いがある。
即心即|菩提――菩提に眼をひらけば、悪逆の徒も仏もこれを許し給うとある。――まし....