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「原城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

原城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
恩を返す話」より 著者:菊池寛
を決したように、天草領へ雪崩《なだ》れ入った。が、しかし一揆らが唯一の命脈と頼む原城《はらじょう》は、要害無双の地であった。搦手《からめて》は、天草灘の波濤が城....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
久保相模守忠隣が幕府の命令によって突然に小田原領五万石を召上げられ、あわせて小田原城を破却されたのである。 その子細は知らず、なにしろ青天の霹靂ともいうべきこ....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
上、永禄三年兵を関東平野に進め、関東の諸大名を威服し、永禄四年に北条|氏康を小田原城に囲んで、その城濠|蓮池のほとりで、馬から降り、城兵が鉄砲で狙い打つにも拘ら....
島原の乱」より 著者:菊池寛
されたのである。 時に島原の領主松倉重次は、江戸出府中の事であるから、留守の島原城は大騒ぎである。老臣岡本新兵衛は、士卒をして船で沿岸を偵察せしめるが、ほとん....
小田原陣」より 著者:菊池寛
鬼嘉隆等も各々その精鋭をすぐって、遠州今切港や清水港に投錨して居るのだから、小田原城は丁度三面包囲を受ける形勢にある。 三月|朔日、いよいよ秀吉の本隊も京都を....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
と云ったものである。 卜伝塚原義勝は、常陸国塚原の産、その実父は土佐守といい塚原城の城主であった。 下総の飯篠長威斎に天真正伝神道流を学び、出藍の誉れをほし....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
のやくざ者。 ここで、南条、五十嵐と、がんりきというやくざ者を見ることは、小田原城下以来であります。 濠端に進み過ぎている傍まで、五十嵐が進み寄って、二人は....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
これを囲むところの関白秀吉の軍勢、海と陸とを通じて総勢六十万騎……しかれども小田原城中少しも屈せず、用心きびしく構えて寄せ手を相待つ。そもそも当城は北条五代の先....
百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
》さんが一人居た、汽車が小田原を過ぎた時分にこのお爺さんは首を伸ばして、 「小田原城はどの辺になりますか」 と弥之助に向って尋ねた。 窓の左の方をながめた弥之....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
、むしろ憫然たるものがあります、智慧の気の毒さみたいな。それに、天草の乱のときの原城攻撃の態度、ぬけがけ手柄をしようとする、その他、属僚的機敏さはあっても、井伊....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
年であったと思うが、天草島原の乱を調べにそのゆかりの土地を見て歩いた。そのとき、原城の跡がほぼ原型のまま畑になっているのに一驚したのであった。 もともとこの城....
日記」より 著者:宮本百合子
わずには居られない。 七月四日(火曜)雨 朝「火のついた踵」をなおして居ると、原城氏来。ロシアの饑飢の仕事につき、すっかりまとまったと云って来られ、今更引けず....
天草の春」より 著者:長谷健
年許り前の島原の乱後、斬首された切支丹の宗徒の首一万ばかりを、長崎の浦上と島原の原城と、ここ富岡の三カ所に分けて埋めたという。ところが代官鈴木三郎九郎重成は、民....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
も、また奥州すなわち日の本の義から取った名称であるに他ならぬ。また豊臣秀吉が小田原城攻囲の際、天正十八年五月一日附けを以て、その妻すなわち大政所へ遣わした消息に....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の戦死するなど、一時、西日本一帯に、騒然たるものがあって、翌年三月下旬に、やっと原城を陥落させ、ひとまず、平定を見たものだった。 原城は、もと有馬氏の分城だっ....