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原田
「原田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
原田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青木の出京」より 著者:菊池寛
用意されていた。雄吉が京都に来た翌年の春であった。雄吉や青木と同じクラスであった
原田という男が、故郷の岡山から上京する道で、京都に立ち寄って雄吉を訪問した。彼は....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
から頗る危かった。余り周章てて居るので、相伝の旗を棄てたままにした。本多忠勝の士
原田矢之助これを分捕った。堀金平勝忠、武田勢を追いながら、「旗を棄てて逃げるとは....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
だこの論派を目するに保守論をもってするには至らざりき。すでにして得庵先生は堀江、
原田の諸議官とともに一派を立て自ら保守中正論派と称し、『保守新論』をもって機関と....
「カンカン虫殺人事件」より 著者:大阪圭吉
K造船工場の第二号|乾船渠に勤めている
原田喜三郎と山田源之助の二人が行方不明になってから五日目の朝の事である。 失踪....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
る言を嬉しく聞いたろう。然し何等の答は発せぬ。片倉小十郎は黙然として居る。すると
原田左馬介宗時という一老臣、これも伊達家の宗徒《むねと》の士だが成実の言に反対し....
「油絵新技法」より 著者:小出楢重
に趣きを異にしていたに違いない。明治の初めにおける高橋|由一、川村清雄、あるいは
原田直次郎等の絵を見ても如何に西洋の古格を模しているかがわかる。あの様式がそのま....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
太田の駅に着いて、呑竜上人の新田寺に参詣、はせを屋に一泊。十一日は足利に着いて、
原田与左衛門方に一泊。十二日は猿田|川岸から舟に乗って栗橋に着き、さらに堺川岸か....
「学生と生活」より 著者:倉田百三
morals. Ellen Key : Love and marriage.(
原田訳) Freud : Vorlesungen zur Einfahrung ....
「秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
いた。 然るに、その秀吉が、南洋、主として呂宋に対し、経略の手を延ばしたのは、
原田孫七郎の進言があったからである。孫七郎は、その兄、喜右衛門と共にマニラに住み....
「ローマ法王と外交」より 著者:国枝史郎
帝国政府は今回ローマの法王庁へ
原田健氏を初代公使として派遣することになったが時局がら洵に機宜を得た外交手段だと....
「少年の食物」より 著者:木村荘八
上っているので好きでした。オーデラ少将と云う音にも妙に魅惑があったらしい。その他
原田十吉の門破りとか、馬を連れた福島中佐など――この福島中佐には別にガラスの玉で....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
てしまった。歌舞伎座の「海陸連勝日章旗」は桜痴居士の作、これは大鳥公使の談判から
原田重吉の平壌玄武門先登を脚色したもので、団十郎は大鳥公使と御用船の水夫と
原田重....
「叔父と甥と」より 著者:岡本綺堂
のこと終る。この日は陰りて雨を催せり。 青山や花に樒に露時雨 十五日は初七日、
原田春鈴君来りて、その庭に熟したりという枝柿を霊前に供えらる。 まざ/\と柿食う....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
争劇を上演。 ○十一月、歌舞伎座にて日清戦争劇「海陸連勝日章旗」を上演。菊五郎の
原田重吉が玄武門破り、不評。 ○一月、新富座の中幕「鎌倉三代記」にて、菊五郎の三....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
、今度は少し余裕があったため、ドイツから持ち帰った資料を勉強し、更にドイツにいた
原田軍医少将(当時少佐)、オーストリア駐在武官の山下中将をもわずらわして不足の資....