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参謀本部
「参謀本部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
参謀本部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「上高地風景保護論」より 著者:小島烏水
九十人で、最も混雑する時は、一日に九十人位を泊めることがあったそうである、現に我
参謀本部の陸地測量部が、大正元年測量したばかりの槍ヶ岳焼岳二図幅(五万分一図)を....
「日本山岳景の特色」より 著者:小島烏水
、南は赤石白峰連嶺、中央は木曾山脈、北は濃飛高原からかけて、飛騨山脈に至るまで、
参謀本部の陸地測量部員や、日本山岳会会員によって、縦走せられて、前人未踏などいう....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
威厳を恢復し得て、勢に乗じて、 「貴娘に聞く事があるのですが、」 「はい。」 「
参謀本部の翻訳をして、まだ学校なども独逸語を持っていますな――早瀬主税――と云う....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
しい決戦戦争が行なわれました。その後シュリーフェンという参謀総長が長年、ドイツの
参謀本部を牛耳っておりまして、ハンニバルのカンネ会戦を模範とし、敵の両翼を包囲し....
「国際殺人団の崩壊」より 著者:海野十三
し、遂に今日我国の要路要路の実権を彼等の手に握るようにまで後援したのです。×国の
参謀本部の命令一下、彼等×探は、いやが応でもその命令を決行しなければならないので....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
印を押した、状袋が出て来た。封が切ってあるので僕はすぐ披いて見た。それは、当時の
参謀本部の総長か次長かの何とかの(四字削除)ら各師団長および各旅団長に宛てたもの....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
、俗に長州ヶ原と呼ばれ、一面の広い草原となって取り残されていた。三宅坂の方面から
参謀本部の下に沿って流れ落ちる大溝は、裁判所の横手から長州ヶ原の外部に続いていて....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
四十、松倉家中医師|有家久意年六十二、相津玄察年三十二、布津の太右衛門年六十五、
参謀本部を構成し、益田好次、赤星主膳、有江|休意、相津宗印以下十数名の浪士、評定....
「白峰山脈縦断記」より 著者:小島烏水
黄花石楠花の間を抜き足をして、やっと南農鳥山の二等三角測量標の下に来た、おそらく
参謀本部陸地測量部員が、野営をした跡ではあるまいかと思われる、ちょっとした平地へ....
「空襲警報」より 著者:海野十三
は、この勇猛なる爆撃のため、再び日本空襲をする力を全く失ってしまった。またS国の
参謀本部の中にも、日本人の防空訓練の行きとどいていることをあげて、たとい何百機の....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
し物を忘れていたのだ。 私は家へ戻って長崎の地図を探した。島原も天草も五島も、
参謀本部の五万分の一、二十万分の一、みんな揃っているが、長崎だけがないのだ。ない....
「御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
跡で、俗に長州原と呼ばれ、一面の広い草原となって取残されていた。三宅坂の方面から
参謀本部の下に沿って流れ落ちる大溝は、裁判所の横手から長州原の外部に続いていて、....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
苦辛|惨澹して拵え上げた細密なる調査も、故|池辺三山が二葉亭歿後に私に語った如く
参謀本部向き外務省向きであって新聞紙向きではなかった。例えば当時『朝日新聞』に連....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
にもと大字産所というもの。元禄地図には石橋の付近にあって、高百三十八石余とみえ、
参謀本部陸地測量部の輯製二十万分一図にも、市場の付近に記入してあるが、これまた今....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ずかしい次第である。欧州大戦につき少しく研究するとともに、デルブリュックとドイツ
参謀本部最初の論争戦であったフリードリヒ大王の研究を必要とし、且つかねての宿望で....