叔父御[語句情報] » 叔父御

「叔父御〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

叔父御の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
。横さびでも風折《かざお》りでも、わしはみんな知っている。来年になったら、わしも叔父御と連れ立ってあきないに出るのじゃ」と、千枝松は誇るように言った。 千枝松....
まざあ・ぐうす」より 著者:北原白秋
、 なんとお返事いたさりょうに、 まして叔父様《おじさ》のるすのうち」 ねずみの叔父御《おじご》がもどられて、 ねずみの叔父御《おじご》がもどられて、 「だれか....
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
った同じ言葉を繰り返し、更に続けて「貴方が若し此の事を承知為さらずば、私は貴方の叔父御にお目に掛りません」余「ト仰有っても幽霊の出る室、イヤ出ると言い伝えられて....
復讐」より 著者:夢野久作
い……その甥の当九郎という事になるのですからね」 「いかにも……」 「……一方に叔父御の源次郎氏は、変人の常として、存外、用心深いところもあるので、支那人のよう....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ありさまだとは思ったが、これに較べると、範頼の墓は更に甚だしく荒れまさっている。叔父御よりも甥の殿の方がまだしもの果報があると思いながら、香を手向けて去ろうとす....
鬼涙村」より 著者:牧野信一
、もあるまい。」 「折角、面が出来あがったという晩に今更口論もないものさ。橋場の叔父御《おじご》の口も多いが、酒倉の先生の理窟《りくつ》は世間には通りませんや、....
秋の修善寺」より 著者:岡本綺堂
ありさまだとは思ったが、これに較べると、範頼の墓は更に甚だしく荒れまさっている。叔父御よりも甥の殿の方がまだしもの果報があると思いながら、香を手向けて去ろうとす....
三国志」より 著者:吉川英治
ろは見えない。 「曹操、曹操」 「なんです、お父さん」 「なんともないのか。今、叔父御が駆けこんで来て、お前が癲癇を起してひッくり返っている、大変だぞ、直ぐ行っ....
三国志」より 著者:吉川英治
おるがよい」 孫堅は、さらに、大勢の子と、弟とを見まわして、 「次男の孫権は、叔父御の孫静と心をあわせて、よく留守を護っておれよ」と、云い渡した。 次男の孫....
三国志」より 著者:吉川英治
す。呉景どのは今、丹陽の地も失って、落ちぶれているとか伺いましたが……その逆境の叔父御を救うためと称して、袁術に暇を乞い、同時に兵をお借りなさい」 「なるほど!....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ら退がるとすぐ、末子の竹万丸を一室へよびよせていた。 「竹万、いまからすぐ大山の叔父御の許へ急いで行け」 「お手紙でも持ちますか」 「筆をとる暇もない。たった今....
私本太平記」より 著者:吉川英治
小さいお方だそうだ」 「もうひとかたの、竹若さまとか仰っしゃる方は」 「それも、叔父御の法師にお預けとなり、伊豆の寺に閉じこめられているそうな」 「じゃあ、その....
私本太平記」より 著者:吉川英治
かなか腰を上げて来ないのも、道理である。無理はない、と季綱はいうのであった。 「叔父御は」 と、正季は苦笑した。 「いつか、わが兄上に似ておいでられたな。そん....
黒田如水」より 著者:吉川英治
を招来した発頭人であるところの別所|賀相が、いつのまにか姿をかき消していた。 「叔父御のおすがたが見えぬが」 と、小三郎を始め、死ぬべき人々も、心懸りに待って....
大岡越前」より 著者:吉川英治
、ここで手当てをしておいでになりましたが、何でもお上へ二た月ほどのお暇を願って、叔父御さまの御遺骨を、高野山へ納めに行くと仰っしゃって、つい両三日前、お旅立ちな....