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「古文書〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

古文書の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
自分が懐《いだ》いていた二つの疑問を挙げ、その疑問が先頃偶然自分の手で発見された古文書《こもんじょ》によって、二つながら解決された事を公表したいのである。そうし....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
人の間では神々の中での首長と見なされていたものである。ある古い楔形文字で記された古文書に、こんなことがある。 おお、シン(月神)の神よ、汝のみひとり高きよりの光....
恐怖の口笛」より 著者:海野十三
少年と電話で話をしていた。 「それで勇君が、ポントスの部屋の隠し戸棚から発見した古文書というのはどんなものだネ」 「僕には判らない外国の文字ばかりで、仕方がない....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
姓はダテと読まずに、イダテと読むのが本当らしい。その証拠には、ローマに残っている古文書にはすべてイダテマサムネと書いてあると云う。ローマ人には日本字が読めそうも....
神秘昆虫館」より 著者:国枝史郎
!」 十九 「昆虫館閉鎖は山尼《やまあま》の徒の為なり」 こう古文書に記されてある。 山尼というのは何んだろう? いわゆる山姥《やまうば》の....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
などよりもっともっと輪をかけた富豪であったということである。しかし当時の記録にも古文書などにも吉備彦の事はなんら一行も書いてない。で意地の悪い読者の中にはこの事....
五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
鳶の羽根を取り出した。 「いざお召し下さいますよう」 それから後の光景は、こう古文書に記されてある。 「……雲の原へとぞ上りける。遙の下を見給へば、蒼海まん/....
壁の眼の怪」より 著者:江見水蔭
惚たらずにはいられなくなった。 三 大炊之助は家重代の宝物、及び古文書を出して、勝国手に見せるのであった。いずれも貴重なる参考物なので、念入りに....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
称し、さらに一般に武士のことをも「えびす」という。鎌倉・南北朝ころの日記・記録・古文書等にはなはだ多く散見するところなり。征夷大将軍はもと東夷を征する三軍に将た....
周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
神奈備で、神籠石が神奈備の境界石であったろうとの事実は、この石城山の実際と古地図古文書との対照によって、ますます明らかに証明せられるのである。 石城山の神籠石....
間人考」より 著者:喜田貞吉
は、近衛将曹従六位下勲六等|間人直足人という名も見えて、直姓の家もあった。その他古文書に散見して出自不明の間人姓のものも少くないのである。 「間人」を以て名とな....
ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
たところで、 まあ、我々|不便な奴は死ぬるのでございますね。 ファウスト古文書がなんで一口飲んだだけで 永く渇を止める、神聖な泉のものか。 なんでも泉が....
編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
という念を起すに至った。それから数回天部の篤志家竹中半左衛門翁を訪問して、所蔵の古文書を見せてもらい、また同翁経営の夜学校で、該部落の青年児童に対して、一席の講....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ぬが、決して侮蔑の意味を含んだのではない。昨年の夏遠州平田寺に詣でて、同寺所蔵の古文書を拝見している中に、永禄四年今川氏真署名の文書に、「諸末寺の塔主看院等、本....
融和促進」より 著者:喜田貞吉
て赴任した年のこと、同地の天部の篤志家故竹中庄右衛門翁の家庭を訪うて、その所蔵の古文書を見せてもらい、そのついでに翁の依頼に応じて、同町内の夜学校舎で、町内の有....