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右大弁
「右大弁〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
右大弁の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「姨捨」より 著者:堀辰雄
と、慌ててそれを他に外らせようとしたりした。しかし、女はいつかその男が才名の高い
右大弁《うだいべん》の殿である事などをそれとはなしに聞き出していた。――そうやっ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
し》めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている
右大弁《うだいべん》の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館《こうろかん....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ひし月影のすみはつるよぞのどけかるべき 頭中将《とうのちゅうじょう》である。
右大弁は老人であって、故院の御代《みよ》にも睦《むつ》まじくお召し使いになった人....
「源氏物語」より 著者:紫式部
るお送りにおいでにならないか」 と言ってとどめさせて、子息の衛門督、権中納言、
右大弁そのほかの高官をそれへ混ぜて乗せさせて六条院へ来た。 やや遠い路を来るう....
「源氏物語」より 著者:紫式部
を夢中になってしただろうにね」 と言って、玉鬘夫人は歎息をしていた。右兵衛督、
右大弁で参議にならないため太政官の政務に携わらないのを夫人は愁わしがっていた。侍....
「源氏物語」より 著者:紫式部
。右大臣という人物にはいつも気づまりさを匂宮はお覚えになるらしい。右大臣の息子の
右大弁、侍従宰相、権中将、蔵人兵衛佐などは初めからお随きしていた。帝も后の宮もす....
「法然行伝」より 著者:中里介山
が、学徳名望共に法然上人の右に出ずる者が無いというような理由で、後白河法皇から、
右大弁行隆朝臣をお使として、この度の大勧進職たるべき御内意があった時、法然は、 ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
見、花を見、飲んで死のうか)
というような意味であるらしかった。
蔵人頭から
右大弁に昇り、今も参議という現職にある朝臣であるが、そこでこの貴公子はさかんに六....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ない。 まさに、あれやこれの、最中なのである。ご焦慮もいちばいだった。ついに、
右大弁ノ宰相清忠を召されて、 「使いにゆけ」 と、命ぜられた。 信貴山の宮の....